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ほうし【放氏】
氏人をその氏より追放すること。とくに藤原氏における放氏が歴史上有名である。藤原氏の放氏は平安末期以降,一時熾烈を極めた氏寺興福寺の衆徒の強訴の一環として発生した。衆徒はおのれの主張を通すため,氏社春日大社の神木を奉じて入洛強訴し,その間,氏寺・氏社に不利益をもたらす言動があったとみなされる氏人があれば,衆徒が罪状を詮議し,結果を春日明神に告げて氏より勘当し,興福寺別当から氏長者に報告される。放氏された氏人は,朝廷に出仕できないのはもちろん,家に謹慎閉門して赦免を待つほかなかった。
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ほうし【放氏】
藤原氏の氏寺たる興福寺がしばしば行なった朝廷に対する示威行為。京都における直接の交渉相手となる南曹弁をはじめとする関係者の氏人としての資格を剝奪し、政治的活動を停止させるもの。
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放氏
ほうし
氏人(うじびと)を、その所属する氏から追放すること。とくに平安時代末期以降、藤原氏の氏寺興福(こうふく)寺の衆徒による強訴(ごうそ)のなかで、藤原氏の氏人の放氏が盛んに行われた。強訴による藤原氏の放氏の初例は1163年(長寛1)の参議藤原隆季(たかすえ)の場合で、興福寺と延暦(えんりゃく)寺の抗争の際に延暦寺側の主張に賛同したのが放氏の理由であった。追放は氏長者(うじのちょうじゃ)の長者宣(せん)をもって宣告されるが、追放された氏人は朝廷への出仕もできず、ただ謹慎して処分の解除を待つ以外に術(すべ)がなく、衆徒が入洛すると、廟堂(びょうどう)に多数を占める藤原氏の公卿(くぎょう)らは自由な立場で発言することが困難となり、しばしば政務の運営に支障をきたした。藤原氏の放氏は、室町時代に至る間、20数回に及ぶといわれるが、濫発によってしだいにその権威を失い、やがて消滅した。[吉岡眞之]
『『古事類苑 姓名部』(1980・吉川弘文館)』
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