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放生津潟 ほうじょうづがた

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

放生津潟
ほうじょうづがた

富山県北西部,射水平野にある潟湖。射水市に属する。古くは越湖 (こしのうみ) と呼ばれ,かなり広い湖であったが,流入河川による土砂の堆積と干拓により縮小した。 1961年この潟を利用して掘込式の富山新港の建設工事が始まり,1964年この地区を含む富山高岡地区が新産業都市に指定された。

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百科事典マイペディアの解説

放生津潟【ほうじょうづがた】

富山県射水市,富山湾岸にある小潟湖。古くは越ノ潟,奈呉ノ江(なごのえ)ともいい,《万葉集》のほか多くの勅撰集に歌われた越中の名勝であった。江戸時代は増水に伴う水田への冠水に悩まされたが,シジミ漁などの漁業も行われ,舟運の便もあった。
→関連項目新湊[市]放生津

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうじょうづがた【放生津潟】

富山県北部,新湊市の東部にある潟湖。富山湾岸のほぼ中央部,射水(いみず)平野の北部に広がる。古くは越湖(こしのうみ),奈呉ノ江,奈呉ノ浦とよばれ,越中守であった大伴家持に〈みなと風寒く吹くらし奈呉の江に夫婦(つま)呼びかはし鶴(たづ)さはに鳴く〉などの歌(《万葉集》巻十七)がある。かなり広大であったが,のち鍛冶川,下条(げしよう)川などの土砂が埋積し干拓も行われて周囲約6kmの潟湖になった。富山・高岡新産業都市の中核である富山新港の建設にともなう埋立てにより,中央にあった弁天島も姿を消し,景観は一変した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

放生津潟
ほうじょうづがた

富山県北西部、射水(いみず)市の富山湾岸にあった潟湖(せきこ)。古くは越(こし)の潟(かた)ともいった。縄文前期の海侵によってできた広い入り海であったが、東方から砂州が発達し、潟湖と化した。水深2メートル前後の浅い潟で、その後土砂の埋積や干拓化で縮小し、1964年(昭和39)以来の富山高岡新産業都市の中核事業として掘り込みの富山新港が築港されて放生津潟は消滅した。周辺も低湿な水郷の水田地帯であったが、埋め立てられて臨港工場用地となった。[深井三郎]

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