日本歴史地名大系 「放生津潟」の解説
放生津潟
ほうじようづがた
- 富山県:新湊市
- 放生津潟
新湊市のほぼ中央北、
放生津潟には射水平野を流れる
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新湊市のほぼ中央北、
放生津潟には射水平野を流れる
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
富山県北部,射水市の北東部にある潟湖。富山湾岸のほぼ中央部,射水(いみず)平野の北部に広がる。古くは越湖(こしのうみ),奈呉ノ江,奈呉ノ浦とよばれ,越中守であった大伴家持に〈みなと風寒く吹くらし奈呉の江に夫婦(つま)呼びかはし鶴(たづ)さはに鳴く〉などの歌(《万葉集》巻十七)がある。かなり広大であったが,のち鍛冶川,下条(げしよう)川などの土砂が埋積し干拓も行われて周囲約6kmの潟湖になった。富山・高岡新産業都市の中核である富山新港の建設にともなう埋立てにより,中央にあった弁天島も姿を消し,景観は一変した。また港口切断によって海とつながり,この切断部分を小型フェリーが運航している。
執筆者:藤森 勉
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富山県北西部、射水市(いみずし)の富山湾岸にあった潟湖(せきこ)。古くは越(こし)の潟(かた)ともいった。縄文前期の海侵によってできた広い入り海であったが、東方から砂州が発達し、潟湖と化した。水深2メートル前後の浅い潟で、その後土砂の埋積や干拓化で縮小し、1964年(昭和39)以来の富山高岡新産業都市の中核事業として掘り込みの富山新港が築港されて放生津潟は消滅した。周辺も低湿な水郷の水田地帯であったが、埋め立てられて臨港工場用地となった。
[深井三郎]
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