将軍後見職(読み)しょうぐんこうけんしょく

改訂新版 世界大百科事典 「将軍後見職」の意味・わかりやすい解説

将軍後見職 (しょうぐんこうけんしょく)

幕末江戸幕府役職。1862年(文久2)初頭から,京都での勢力を強めた薩摩・長州・土佐3藩の尊王攘夷派は,朝廷を動かして幕府を攘夷の立場に立たせようとした。この結果,5月,攘夷貫徹のための幕政改革の一環として,一橋慶喜将軍後見職に,松平慶永大老に登用せよとの勅諚が出た。勅使大原重徳は島津久光の兵を伴って江戸へ下り,幕府に勅諚を伝えた。幕府はこれを受けいれ,7月,慶喜を将軍後見職に任じた。64年(元治1)3月,慶喜が禁裏守衛総督に転じた際,廃職となった。
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百科事典マイペディア 「将軍後見職」の意味・わかりやすい解説

将軍後見職【しょうぐんこうけんしょく】

江戸末期の幕府の役職。1862年幕府は尊皇攘夷(じょうい)派の,幕政改革の一として,一橋慶喜を将軍後見職に,松平慶永(よしなが)を大老に登用するようにとの要求を入れ,慶喜を将軍後見職に任じた。1864年慶喜が禁裏守衛総督に転じ廃職。
→関連項目政治総裁職寺田屋事件徳川家茂

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「将軍後見職」の解説

将軍後見職
しょうぐんこうけんしょく

幕末期の江戸幕府の臨時職。従来から将軍の病弱・幼少の際にみられた。1858年(安政5)8月幕府は14代将軍家茂(いえもち)の若年将軍継嗣問題の経緯から,一橋派を排除する目的で田安慶頼を後見に任命。62年(文久2)5月廃したが,雄藩の公武合体運動が高まり,鹿児島藩建議を入れた朝廷の勅により,同年7月6日役職として新設し徳川慶喜(よしのぶ)を任命。この処理は慶喜の政治的活動を保障するものとなった。参予会議の解散後,64年(元治元)3月25日慶喜が禁裏守衛総督・摂海防禦指揮に転じて本職は廃された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「将軍後見職」の解説

将軍後見職
しょうぐんこうけんしょく

幕末,江戸幕府の職名
1858年田安慶頼 (よしより) が就任したが,'62年免職。同年幕政改革の勅命により政事総裁職などとともに設置された。一橋慶喜 (よしのぶ) が就任して14代将軍徳川家茂 (いえもち) を補佐。'64年慶喜の辞任により廃止された。

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