教坊(読み)きょうぼう

  • きょうぼう ケウバウ
  • きょうぼう〔ケウバウ〕
  • 教坊 jiào fāng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中国および日本の宮中の音楽教習機関。漢代 (前2世紀) 以来,中国宮廷国家の音楽は,礼楽である太常寺で管轄したが,南北朝 (6世紀) から西方音楽が入り,芸術音楽が盛んになり,太常寺以外に教習機関が設けられた。唐初 (7世紀) に宮女の楽舞を教える内教坊がおかれ,玄宗の開元2 (714) 年に長安の都の宮城の東隣に左教,右教坊がつくられた。唐末には縮小されて仗内教坊になったが,最盛時には数千人の妓女が,内人,宮人,しゅう弾家,雑婦女の階級に分れて養われた。実質奴隷に等しい身分であった。教坊の名は宋,元,明と伝わり,清初 (17世紀) に消失した。日本では奈良朝に女踏歌 (とうか) を教えるところとして宮中におかれ,平安朝末まで続いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

中国の宮廷楽舞および演芸の教習の場をいう。隋の煬帝(ようだい)のとき(610)長安に南北楽人300人を坊に集めたのが先鞭で,唐初の武徳年間(618‐626)まず内教坊が創設され雅楽を教習した。音楽を愛した玄宗の714年(開元2)になると内教坊のほかに左右教坊を長安と洛陽に各2ヵ所設置し,それまで管轄していた礼楽の役所太常寺から分離して宮廷直属とした。六朝時代より盛んになった西域,インド系の胡楽と中国俗楽,それに民間の演芸を教習し,雅楽をこととしなかったためである。

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙
① 昔、中国で宮中の音楽を管理し、特定の身分をもつ楽人や舞妓を養成した役所。日本では奈良・平安時代に宮中に内教坊があった。
※制度通(1724)一一「教坊の設また唐の制にならふて四部に分つ」 〔白居易‐琵琶行〕
② 遊芸を見せる所。劇場や遊里。
※寛斎先生遺稿(1821)一・三絃弾「昇平情態尚繊巧、教坊新譜日換遷」
※花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉二二「音曲に巧にして且つ容貌の美なるを以て盛名教坊(ケウバウ)に冠たり」

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