教科書検定制度(読み)キョウカショケンテイセイド

デジタル大辞泉 「教科書検定制度」の意味・読み・例文・類語

きょうかしょ‐けんていせいど〔ケウクワシヨ‐〕【教科書検定制度】

民間で編集された教科書について、文部科学大臣が検定し、合格したもののみの使用を認める制度。明治19年(1886)の小学校令中学校令によって始まり、同36年国定制となり、昭和22年(1947)から再び検定制となった。→国定教科書こくていきょうかしょ近隣諸国条項

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精選版 日本国語大辞典 「教科書検定制度」の意味・読み・例文・類語

きょうかしょ‐けんていせいど ケウクヮ‥【教科書検定制度】

〘名〙 民間で著作された教科書を文部科学大臣が調査し、教科用として適切であると認められたものだけに使用を許す制度。明治一九年(一八八六)小学校令に基づいて採用。明治三六年(一九〇三)から小学校教科書は国定制度となったが、第二次世界大戦後新学制の発足とともに、小・中・高等学校の教科書の認定のために再び採用。正式名は教科用図書検定制度

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改訂新版 世界大百科事典 「教科書検定制度」の意味・わかりやすい解説

教科書検定制度 (きょうかしょけんていせいど)

監督庁による検定に合格した教科書を学校で使用しなければならない制度。検定の方式いかんにより,教科書内容は執筆者,編集者の意図とのちがいが大きくなる。日本では検定制度は1886年に初めて実施された。これより先,学制公布(1872)当時,教科書は自由発行,自由採択制度であったが,政府による教育統制政策の強化により,80年文部省が不適当とみた教科書の使用禁止を指示,81年開申制(届出制),83年認可制に改められ,文部省による教科書統制はしだいに強化され,そして86年の小学校令,中学校令,師範学校令によって検定制がとられたのである。80年以来一貫して統制の対象とされたのは,国安妨害,風俗紊乱(びんらん)のおそれのある教材であった。後者が初等・中等教育の教科書に掲載されることはまれであり,前者が統制の対象とされたことは明白である。この検定制度は,小学校では1903年,中学校では1943年に国定制度に改められるまでつづいた。第2次大戦後,学校教育法(1947年3月公布)によって,小・中・高校の教科書について〈監督庁の検定若しくは認可を経た教科用図書または監督庁において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない〉と定められ,監督庁が著作権をもつものの存続も認められたが,これは例外であり,一般的には国定教科書制度に終止符が打たれ,検定制度が復活した。この法に基づいて49年4月から検定済の教科書が使用されはじめた。当時,紙が極度に不足し,新聞社が用紙を子どもの将来を案じて教科書にまわし,どうにか発行できたという状態であり,検定権者は当分の間文部大臣とされ,この用紙事情が好転すれば教育委員会にわたすとされていた。ところが53年,学校教育法,教育委員会法改正により,検定権者は〈当分の間〉ではなく,文部大臣に限られることになった。

 検定は,教科用図書検定規則(1948)により,原稿校正刷,見本本の3段階の審査が行われている。担当するのは,非常勤の調査員,文相の任命する教科用図書検定調査審議会委員,ならびに56年に設置された常勤の教科書調査官の3者であるが,校正刷以降は調査官に任されるので,その比重は大きい。65年高校日本史教科書の著者家永三郎は,教科書検定を違憲・違法とする訴訟を提起,30年をこえる裁判がつづけられてきた(教科書裁判)。また82年には検定により近代史の歪曲があったとして中国,大韓民国などアジア諸国から強い批判が出されるなど,検定は国際的にも問題とされた。89年3月,文部省は臨時教育審議会第3次答申(1987年4月)の指示に従い,検定審査の〈簡素化〉を決定した。従来の3段階の審査を2段階に改めたものだが,かえって出版社の自主規制が増えると憂慮され,事実,そのことが編集過程で表れてきている。
教科書 →国定教科書
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百科事典マイペディア 「教科書検定制度」の意味・わかりやすい解説

教科書検定制度【きょうかしょけんていせいど】

出版社の発行しようとする教科書が適当か否かを審査する制度。現行制度(1949年度以降)は学校教育法に基づき,小・中・高の各学校用のものにつき文部大臣(現,文部科学大臣)が検定する。学習指導要領をもととする教科用図書検定基準(告示)があり,文部省(現,文部科学省)の教科書調査官の調査および教科用図書検定調査審議会(委員は文相任命で,氏名は発表されない)の答申により合否を判定。しかし1987年の臨時教育審議会第3次答申で見直しを求められた。これを受けて文部省の教科用図書検定調査審議会は,1988年9月に審査過程の簡略化,審査の概要を公表するなどの《検定制度改善の骨子》をまとめた。文部省はこれに基づいて検定基準,規則を改め,1990年度の小学校教科書検定から適用。戦後の検定制度発足以来,約40年ぶりの大幅改定となった。しかし一方では,検定内容はますます厳しくなっており,特に社会科教科書,日本史教科書で削除,書換えを指示されるケースが多い。→教科書裁判
→関連項目家永三郎国定教科書

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「教科書検定制度」の意味・わかりやすい解説

教科書検定制度
きょうかしょけんていせいど
authorization of textbooks

学校で使用する教科書に対して,一定の基準を設けて審査し,その使用を認定する制度。日本では小,中,高等学校の教科書に対して国の検定制度が設けられている。日本の教科書は古くは自由採択であったが,その後開申制度 (1881) ,認可制度 (83) ,検定制度 (86) を経て 1903年には国定制度となった。しかし,第2次世界大戦後の 47年,学校教育法の制定により再び検定制度となった。すなわち,小,中,高等学校およびそれらに準じる諸学校においては,文部大臣 (現文部科学大臣) の検定を経た,または文部省 (現文部科学省) が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならないことになっている (学校教育法 21,40条など) 。したがって教科書を出版しようとする者は,出版に先立って文部大臣の検定を受け,これに合格しなければならない。この制度は,教科書出版について事前に行政庁の審査に服させるものである点で,憲法が禁じている「検閲」 (21条2項) ときわめて類似した性格をもっている。そのため 65年,67年,84年には歴史学者家永三郎による教科書検定違憲訴訟 (いわゆる教科書裁判) が起り,教科書検定制が表現の自由,学問の自由,さらには教育権の独立,教育の自由などとの関連で争われ,話題と論議を呼んだ。また 82年には,第2次世界大戦時のアジア「侵略」を「進出」としたことで,中国や韓国などから抗議を受け,検定制度に対する批判が巻起った。そのため当時の文部省は,83年に検定結果の一部公開性に踏切り,89年には検定制度の簡素化をはかった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「教科書検定制度」の解説

教科書検定制度
きょうかしょけんていせいど

民間で著作した教科書を監督庁が審査し,合格したものだけを教科書として認める制度。日本では1872年(明治5)の学制以降,自由発行・自由採択制だったが,しだいに国家統制が強まり,開申制(届出制,81年),認可制(83年)をへて86年から検定制となった。検定権者は文部大臣で,小学校では1903年に国定制になるまで,中学校でも43年(昭和18)まで続いた。第2次大戦後は47年の学校教育法で小・中・高校での検定制が復活。当初は検定権を地方教育委員会に移す予定だったが,53年の教育委員会法改正により検定権者は文部大臣となった。以後検定が強化されるなかで,与党による「うれうべき教科書の問題」配布,不合格処分や修正要求を憲法違反と訴えた家永三郎による訴訟,東アジア諸国からの批判などがおこった。

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世界大百科事典(旧版)内の教科書検定制度の言及

【教科書】より

…しかもこの授業を全国で一斉に行わせるため,国定教科書には教師用書がつくられ,ここに説明材料や子どもへの質問事項が書き込まれていたのである。
[戦後の教科書]
 第2次大戦後,このような国定教科書への批判・反省から,この制度は検定制に改められた(教科書検定制度)。たとえ戦前の教科書内容が軍国主義的・超国家主義的でなくても,画一的な内容・方法は教室から生気を失わせるとして,教師による自主的な教材選択・指導が文部省によっても重視されるようになった。…

【検閲】より

…そこで,これを税関検閲と呼び違憲とする学説が多いが,1980年3月25日,札幌地裁は限定的ながら,裁判所として初の違憲判決を行った。(2)教科書検定(教科書検定制度) 日本の小・中学校および高校は,文部大臣の検定を経た教科書または文部省著作の教科書を使用しなければならないことになっている。家永三郎は,その高校用教科書《新日本史》が不合格(1963),修正意見付合格(1964)となったことを不服として,国家賠償請求訴訟(第1次訴訟),および不合格処分取消訴訟(第2次訴訟)を起こした。…

【国定教科書】より

…日本の場合,小学校では1904年4月から,中学校では43年4月から,ともに49年3月まで使用された。1886年小学校,中学校,師範学校について教科書検定制度が採用され,教科書に対する国家統制が強化され,ついで90年の教育勅語発布以後は,この勅語の精神にのっとる教育の実現のため,修身などの教科書の国費による編纂を求める建議が衆議院や貴族院で出されるようになった。これが国定制への転換を迫る最大の力であった。…

※「教科書検定制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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