日本大百科全書(ニッポニカ) 「教科書裁判」の意味・わかりやすい解説
教科書裁判
きょうかしょさいばん
広義には、教科書検定制、教科書使用義務制、教科書無償制など教科書制度をめぐって争われた裁判を総称するものだが、通常、歴史学者の家永三郎(いえながさぶろう)(1913―2002)が検定制の違憲・違法性を主張して提起した一連の裁判をさす。
[宮﨑秀一]
家永教科書裁判
東京教育大学、のちに中央大学教授(出訴当時)であった家永三郎が、自著の高等学校日本史教科書『新日本史』の検定不合格処分や条件付き合格処分を不服として、教科書検定制度は憲法の保障する表現の自由、検閲の禁止、学問の自由などに反すると主張し、国などを相手どって提訴し30余年にわたって行われた裁判。
『新日本史』はすでに1950年代から執筆・編纂(へんさん)され使用されていたが、1960年(昭和35)の高等学校学習指導要領改訂に伴う検定申請(1962年度および1963年度)に対して検定不合格処分および条件付き合格処分(その後不本意ながら再修正して合格し、5訂版として発行)が下された。これに対する国家賠償請求事件が第一次訴訟(1965年6月提訴)である。
第二次訴訟(1967年6月提訴)は、1966年(昭和41)の部分改訂申請が、5訂版検定の際に助言的性格のB意見(当時)に沿って修正した箇所をもとの記述に戻したことを理由に不合格とされたのを不当として、その取消しを求めた行政訴訟である。
第三次訴訟(1984年1月提訴)は、いわゆる「侵略」「進出」問題、「日本を守る国民会議」による教科書『新編日本史』発行など社会科教科書検定を巡る新たな状況のなかで、1978年の高等学校学習指導要領改訂に伴い全面的に書き改めた『新日本史』の検定申請(1980年度新規、1983年度部分改訂など)に対する条件付き合格処分等について提起した国家賠償請求事件である。
[宮﨑秀一]
第二次訴訟
判決は先に行政事件訴訟である第二次訴訟について下された。第一審東京地裁判決(裁判長名を冠して通称「杉本判決」とよぶ。以下同様)は、国民の教育の自由や子供の学習権に関して本格的な憲法解釈を展開し、検定制自体の違憲性は否定したものの、「本件検定不合格処分は、執筆者の学問研究の成果としての思想内容を事前審査するものであって憲法第21条2項が禁ずる『検閲』に該当し、また教科書の誤記、誤植などにとどまらず記述内容の当否に介入する点で、教育への『不当な支配』として教育基本法第10条に違反する」(判決要旨)と、いわゆる運用違憲の判断を示した(1970年7月17日)。
第二審東京高裁判決(「畔上(あぜがみ)判決」)は、憲法判断は回避したが、本件不合格処分には裁量権の濫用があったとの理由で原判決を維持し、文部大臣の控訴を棄却した(1975年12月20日)。上告を受けた最高裁(第一小法廷)は、学習指導要領改訂に伴い検定審査基準も変更された現時点では、原則として原告の訴えの利益は消滅していると判示したうえで、本件がなお例外的に訴えの利益の存続する場合に相当するか等を審理すべく原判決を破棄し、東京高裁に差し戻す判決を言い渡した(「中村判決」1982年4月8日)。
差戻審判決は、新旧学習指導要領の変動は微小とはいえないから、本件検定不合格処分が取消されても、原告が再度旧指導要領下で改訂検定を受けることはできず、また処分取消しにより副教材として使用可能となることは事実上の利益に過ぎないと判断した(「丹野判決」1989年6月27日)。これにより、原告・家永側の訴えは却下されたが、再上告しなかった結果、第二次訴訟は終結した。
[宮﨑秀一]
第一次訴訟
第一次訴訟は第一審東京地裁判決(「高津(たかつ)判決」)が「杉本判決」から4年遅れて下された。本判決は、1963年度(昭和38)検定に8か所の不当な検定意見をみいだし、これを違法として結果的には損害賠償請求を一部(10万円)認容したが、「国民の教育権」を認めた杉本判決とは対照的に、福祉国家観に基づき「国家の教育権」説にたって、現行検定制を合憲合法とした(1974年7月16日)。
これに対する東京高裁控訴審判決は、1986年、国の教育統制権能について「国が必要かつ合理的と認められる関与ないし介入をすることは、教育の内容、方法に関するものであっても是認されると解すべき」と述べて、高津判決と同様に現行教科書検定制度を全面肯定した。個々の検定意見の違法性についても、「(当該意見の)基礎たる事実関係ないしその見解に相応の根拠がある限り」裁量の逸脱や濫用の違法はないとして、一審判決の原告勝訴部分を取り消した(3月19日「鈴木判決」)。
最高裁第三小法廷は、原告提訴以来28年を経た1993年(平成5)、教科書検定制度の憲法その他関連法規適合性について、初の実体的判断を示した(3月16日「可部判決」)。同判決は下級審判決と同じく、憲法第26条・教育基本法第10条(当時)の「教育の自由」との関連では、児童・生徒の授業批判能力の欠如や学校・教師選択の余地の乏しさから要請される、教育内容の正確・中立・公平さと全国的水準の保持の必要性の観点から、検定制の合憲・合法性を認めた。また、憲法第21条「出版の自由、検閲の禁止」については、不合格図書を一般図書として発行可能であることを根拠にあげ合憲、合法とした。そして検定処分における文部大臣の裁量権については、「学術的、教育的な専門技術的判断である」が、その過程に「原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識……に看過ごし難い過誤」がある場合は違法となると述べ、裁量権濫用による違法性の基準を示した上で、本件にその違法はないとして家永側の上告を棄却した。
[宮﨑秀一]
第三次訴訟
第一次訴訟が、原告・家永側の全面敗訴で終結したのと前後して、同じく国家賠償請求型の第三次訴訟が進行した。三次訴訟では、一次訴訟が300か所もの検定結果の違法性を争ったのに対し、1980年度(昭和55)と1983年度の検定意見8か所と、1982年度の正誤訂正申請不受理の違法性に争点が絞られた。太平洋戦争末期の沖縄戦の記述をめぐっては、現地沖縄での出張尋問が行われるなど本訴訟への社会的注目が集まった。
東京地裁による第一審判決は、二次訴訟差戻控訴審の「丹野判決」と同年の1989年(平成1)に下された(10月3日「加藤判決」)。判決は検定制自体は合憲、合法としつつも、検定権行使の際の裁量権逸脱、濫用の認定基準として、「検定処分における判断が、……学界の状況等に誤認があることなどにより事実の基礎を欠く場合」など具体的に示した。しかし、本件検定につき裁量権濫用が認定されたのは、幕末期の「草莽隊(そうもうたい)」の記述1か所のみで、被告・国には10万円の損害賠償が命ぜられるにとどまった。
1993年10月20日の、控訴審判決(「川上判決」)は、検定制の合憲性・合法性判断については同年の一次訴訟上告審「可部判決」にほぼ沿ったものであったが、新たにいわゆる「南京(ナンキン)大虐殺」に関連する2か所を加えた計3か所の検定に裁量権濫用を認め、国に30万円の賠償を命じる原告一部勝訴判決となった。
1997年8月29日、家永教科書裁判最後の判決が最高裁第三小法廷によって下された(「大野判決」)。判決は上告人家永側の検定制違憲の主張をしりぞけ、また裁量権濫用判断についても可部判決の「看過ごし難い過誤」の基準を踏襲したが、文部大臣の裁量権についてはより限定的に解し、「修正意見の内容が合理的であるのみならず、原稿記述の欠陥が訂正、削除又は追加されない限り教科書として不適切であると評価せざるを得ない程度に達していることを要する」とした。個別の検定箇所に対する判断では、新たに戦時中の細菌兵器開発に関する「七三一部隊」の記述に対する修正意見の違法性を認定し、控訴審で確定した3か所と合わせた計4か所の検定違法に対する賠償額を40万円とした。
提訴から32年にわたる家永教科書裁判は、国民各層に教科書制度を含め広く教育政策への関心を喚起するとともに、教育権理論を深化させる役割を果たした。また数次にわたって教科書検定規則および検定基準の改訂が行われたことは、同裁判の成果と評される。
[宮﨑秀一]
横浜教科書裁判
原告の高嶋伸欣(のぶよし)(1942― 、元琉球大学教授)は、筑波大学附属高等学校教諭当時、高等学校公民科現代社会の教科書を共同執筆した。その際担当した「現代のマスコミと私たち」と「アジアの中の日本」の二つのテーマに関する記述計十数か所について、1992年に検定意見(旧検定制度の修正意見に相当)を付され、執筆断念に追い込まれた。そのため翌1993年検定の違法性を主張して国家賠償請求訴訟を提起、これは家永教科書訴訟に次ぐ第二の教科書裁判とよばれた。本訴訟は、臨時教育審議会答申を受けた1989年(平成1)の検定手続・基準の大幅簡素化・重点化後の検定に対する初の司法判断としても注目された。
第一審判決は、1998年4月22日横浜地方裁判所で言渡され、原告の請求を一部認容した。「アジアの中の日本」に関する検定意見のうち、(1)福沢諭吉の「脱亜論」と勝海舟の『氷川清話(ひかわせいわ)』からの「アジアに対する見方」を考察するための引用の仕方、(2)湾岸戦争時の海上自衛隊の掃海艇派遣に際して東南アジア諸国の意見を聞くべきかどうかの論点、の2か所について、学説状況の把握が不十分であり、検定理由の明確性と裁量基準解釈における抑制的姿勢を欠く等の点で「看過ごし難い過誤」があったとして文部大臣の裁量権逸脱による違法性を認定、20万円の損害賠償を命じた。
しかし、2002年5月29日、控訴審で東京高裁は、原判決が違法と認定した2か所を含め検定意見4か所すべてに裁量権の逸脱などはないとして原告の請求を棄却、続いて2005年12月1日、最高裁第一小法廷も原告高嶋側の上告を棄却した。
[宮﨑秀一]
沖縄集団自決・軍関与裁判
2006年度の高校日本史教科書の検定において、太平洋戦争末期の沖縄戦に関連して、集団自決が「軍命」によるものだとする従来の記述の削除・修正が求められる新たな問題が浮上し、前年2005年に提訴された裁判がこれと密接に関わるとされた。
大江健三郎著『沖縄ノート』(岩波新書、1970年初版)などのなかで、沖縄戦において住民が日本軍の命令により集団自決に至ったと書かれた内容は事実に反するとして、2005年8月、当時の戦闘隊長らが著者や出版社に対し出版差し止めや損害賠償等を求め、訴えを提起した。同裁判における原告・元戦闘隊長らの自決命令はなかった旨の陳述が検定意見の根拠の一部とされたが、本検定に対する沖縄県民等の強い批判を受け、文部科学省は訂正申請の形で「集団自決への軍の関与」を認めるに至った。結局、裁判においても一審大阪地裁判決は大江らの著述の真実相当性を認定し、元隊長側の請求を棄却した(2008年3月28日)。原告側の控訴に対し大阪高裁も同2008年10月31日これを棄却している。
[宮﨑秀一]
その他の教科書関連裁判
教科書検定関連裁判以外で教科書に関わる代表的裁判としては、義務教育教科書無償要求事件訴訟と教科書使用義務について争われた伝習館事件訴訟があげられる。
[宮﨑秀一]
義務教育教科書無償要求裁判
この裁判では、立法措置により1964年度(昭和39)から義務教育学校での教科書無償制が発足する以前に、憲法第26条2項後段「義務教育は、これを無償とする」の解釈として、教科書費も無償の範囲に含まれるか否かが問われた。1964年2月26日の最高裁(大法廷)判決は、憲法上無償の対象となるのは「授業料」までにとどまり、教科書等の費用については「国の財政等の事情を考慮して立法政策の問題」とすべきであると述べた。
[宮﨑秀一]
伝習館高校裁判
伝習館事件は、福岡県立伝習館高校の社会科教師3名が、各担当科目につき教科書を使用する義務(当時の学校教育法21条1項、51条)に違反するなど「偏向教育」を行ったとして、懲戒免職処分を受け、その取消しを求めて提訴したものである。一審の福岡地裁1978年7月28日判決は、教科書を「諸教材の中で中心的教材として使用する義務を肯定することはできず、教科書の教え方や補助教材との使用上の比重等は教師の教育方法の自由に委ねられている」として、教科書の性格を限定的にとらえた。その上で、教科書を教材として使用したか否かは「当該科目の1年間にわたる教育活動にわたる全体的考察において」判断されるべきであり、「或る授業時間のみを把えれば教科書内容以外の講義……や教科書以外の研究書や資料を教材とし……教科書内容に相当する教育活動が行われたとしても、それのみを目して教科書使用義務違反とみるのは非常識である」として、教科書使用義務履行のあり方・形態を広く解釈した。
これに対し、二審の福岡高裁1983年12月24日判決は、教科書の「あるべき使用形態」を、「授業に教科書を持参させ、原則としてその内容の全部について教科書に対応して授業すること」とする一方で、「教師において、適宜、本件学習指導要領の教科、科目の目標および内容に従って、教科書を直接使用することなく、学問的見地に立った反対説や他の教材を用いての授業をすることも許される」とも述べている。
原告らの請求に対し、一・二審判決は教師2名の処分について、被告の福岡県教育委員会側に裁量権逸脱の違法性を認め、処分取消を言渡したが、1990年(平成2)1月18日の上告審判決は、処分権者の裁量権を広く解し、原判決を破棄した。
[宮﨑秀一]
『家永三郎著『教科書裁判』(1981・日本評論社)』▽『家永教科書訴訟弁護団編『家永教科書裁判』(1998・日本評論社)』▽『高嶋伸欣著『教科書はこう書き直された!』(1994・講談社)』▽『石山久男著『教科書検定――沖縄戦「集団自決」問題から考える』(2008・岩波書店)』