教育を助長する固有な法論理をもつ法体系として形成されつつある新しい現代法の一分野。厳密な概念規定はなお確定しているとはいえないが,〈教育制度に特有な法論理の体系〉(兼子仁《教育法(新版)》1978),あるいは〈人間の学習過程の条件を社会的に統制し,人間の発達を保障する法体系〉(牧柾名・平原春好編《教育法入門》1975)などが代表的な定義である。イギリスやドイツに典型的にみられるように,教育にかかわる法条項は工場法や一般行政法のなかに初めて登場するが,独立した一連の教育法規として制定されるのは,近代公教育制度とりわけ義務教育法制が確立してくる19世紀後半以降である。教育法規は公教育制度の発達と表裏をなして徐々に形成され,教育法制として体系化されてきたといえる。日本の場合は,1872年(明治5)の〈学制〉に端を発し,1890年代に大日本帝国憲法と教育勅語を主柱としてその骨格が確立された。〈教育勅語法制〉ともいわれる第2次大戦前の教育法制は,教育財政の分野を除いてそのほとんどが勅令(天皇の命令)とそれにもとづく行政立法によって構成されるという特異な性格をもっていた。そこでは学校教育そのものが天皇制国家の末端行政であるとされ,教育法規は行政法の一部分としての〈教育行政法〉にすぎなかった。
戦後の教育改革は日本の教育法制を根本的に転換させ,画期的な〈憲法・教育基本法制〉を誕生させた。〈教育を受ける権利〉と〈学問の自由〉が憲法の教育条項として明記され,教育の根本理念を定めた教育基本法は,教育と教育行政を峻別し,教育行政による教育そのものへの〈不当な支配〉を厳しく戒めた。さらに〈教育立法の法律主義〉〈教育の地方自治・住民自治〉〈教職員と学校の慣習法的自治〉などが教育法制の諸原則として打ち出され,学校教育法(1947),教育委員会法(1948),教育公務員特例法(1949),社会教育法(1949)など一連の教育関係法規が成立をみた。しかし,これらの諸法規を新しい〈教育法〉として体系化し,固有の法論理をより明確にして定着させる努力は十分ではなく,その自覚的取組みは1960年代以降となった。50年代後半から〈憲法・教育基本法制〉を再編しようとする政策動向が強まり,これに反対する教職員や父母・住民の運動の高揚と勤務評定や学力テスト問題などに関する一連の教育裁判が各地で始まるなかで,〈憲法・教育基本法制〉のもつ法論理とその意義をとらえ直し,行政解釈とは異なる教育の論理に立った現行教育法制の体系的かつ緻密な解釈が強く要請されたからである。こうした自覚的取組みは,70年の〈日本教育法学会〉の創設へと結実し,その後の教育法学の急速な発展を生み出している。日本の教育法学は今日,〈子どもの学習権〉を中核とする〈国民の教育権〉理論の法論理を一層深めるとともに,それを保障する教育法の体系--成文法と不文法の総合的体系--を確立することを課題としている。そのためには国際的交流もふくめたより広い学際的協同が不可欠となっている。
→教育行政
執筆者:三上 昭彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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