数量経済史(読み)すうりょうけいざいし(英語表記)quantitative economic history

改訂新版 世界大百科事典 「数量経済史」の意味・わかりやすい解説

数量経済史 (すうりょうけいざいし)
quantitative economic history

経済史は昔から統計を利用してきたが,1960年前後から起こった〈数量経済史〉は,主として統計数量に依拠し,経済理論や社会会計の枠組みを用いながら経済史を再構成するという点で従来の経済史とは異なる。このような経済史はアメリカでは〈新しい経済史new economic history〉と呼ばれ,クリオメトリックスcliometricsと称されることもある。このうち計量経済学的方法を用いるものは,とくに計量経済史econometric historyと呼ばれる。

1950年代から60年代にかけてアメリカ経済史の研究は一大変革をとげ,〈新しい経済史〉といわれる接近方法が盛んになった。〈新しい経済史〉は,数量経済史の一種にほかならないが,その後しだいに盛んになり,今では学界主流となっている。もっとも〈新しい経済史〉は直ちに全面的に受け入れられたわけではなかった。それがひとつの革新運動として学界に定着するまでには,多くの年月と先駆的な研究者による啓蒙活動が必要であった。この意味で,1957年におけるマイヤーJ.R.MeyerとコンラッドA.H.Conradの経済学史学会での方法論についての報告《統計理論・統計的推定および経済史》と,全国経済調査会の研究集会での実証的報告《南北戦争前の南部奴隷制の経済学》とは,〈新しい経済史〉の成立過程における重要な労作である。新しい方法についての啓蒙活動は,その後もノースD.C.North,フォーゲルR.W.Fogelらによって強力に展開され,同時にフォーゲル,デービスL.F.Davis,フィッシュローA.Fishlow,テミンP.Teminらの著作が続々と発表されるにつれて,急速に全米の大学に広がった。デービスほか著の《アメリカの経済成長--経済学者のアメリカ史》(1972)やフォーゲルとエンガーマンS.L.Engermanの共著《苦難のとき》(1974)は,この派の代表的な著作である。〈新しい経済史〉は経済史に経験科学の方法を適用することを主張する。したがって,明確に定義された概念を用いて仮説(現実とは異なる仮定)を設定し,その現実妥当性を問うことが経済史のひとつの主要な課題となった。

 アメリカには,〈新しい経済史〉には入らないとしても,数量経済史の中に含めて差支えないいくつかの流派がある。国民経済計算(社会会計)の方法を用いて経済成長や経済変動を描写し,経験法則を見いだすもので,長期波動,産業構造変化法則,平均貯蓄率の安定等の発見を含むS.S.クズネッツ業績が代表的なものである。ほかに人口史,物価史,貨幣史などの分野でも多くの業績がみられる。

ヨーロッパでは,アメリカにみられるような革命的な変化はあらわれていない。イギリスのキングGregory King(1648-1712)の階級別人口をはじめとして,物価史,人口史などでは古くからの数量的研究の伝統があり,近年の数量経済史もその延長線上にある。ただ,近年になって分析方法が進歩し,経済全体の中での数量の意義を把握することに新機軸がみられるようになった。その代表的なものは,イギリスのディーンP.Deane,コールW.A.Cole,フランスのマルシェフスキーJ.Marczewskiに代表されるような,国民経済計算の枠組みを用いた経済成長の分析であろう。このほかフランスでは,シミアンF.Simiand,ラブルースC.E.Labrouseの物価史が著名であるが,近年最も注目されているのはアンリL.Henryの開発した教区簿冊を利用した豪族復原法による人口史研究(歴史人口学)であろう。この方法は,その後イギリス等でも活用され,センサス以前の時代の人口動態を明らかにするうえで大きな業績をあげている。

日本では,第2次大戦後いち早く一橋大学の研究者を中心に経済成長の数量的分析が始められた。この派の研究は,その後大川一司,篠原三代平,梅村又次らを中心とする《長期経済統計》全14巻(1965-84)の推計と分析に受け継がれた。《長期経済統計》は,明治期から戦後に至る経済統計を国民経済計算の枠組みを用いて統合整理したもので,そのカバリッジの壮大さはおそらく他に例をみないであろう。ただ問題は,完結にほぼ20年を要したため,各巻の間の相互比較の難しいものが少なくないことであるが,大川・篠原の《日本経済発展の形態》(英文,1979)はこの困難を除去している。もう一つの顕著な集団研究は数量経済史研究グループ(QEH研)の活動である。梅村又次,新保博,速水融,西川俊作らを中心とするこのグループは,比較的地味な分析方法を用いて近世から現代に至る経済史を研究して,その成果を1976年以来《数量経済史論集》に発表している。
経済史学
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「数量経済史」の意味・わかりやすい解説

数量経済史
すうりょうけいざいし
quantitative economic history

従来の経済史研究に対する方法論的な反省から,1950年代末のアメリカで導入された方法。計量経済史 econometric history,新しい経済史 new economic history ,クリオメトリックス cliometricsとも呼ばれる。計量分析の手法を大胆に取入れ,さらに経済学の理論的・実証的方法を適用することによって,旧来の記述史料に基づく歴史上の定説を完全に破壊したり,修正的な結論を導き出すことに成功している。たとえば,アメリカの奴隷制度は南北戦争以前から衰退の過程にあったとかアメリカの経済発展に鉄道建設は不可欠の要因であったとかいう定説に対して,偶像破壊的な結論を提示した。また日本においても,明治維新をめぐる議論において,政治的要因から江戸時代と明治以降の社会とを区別する従来からの不連続説に対して,経済的には徳川社会が明治以降の社会を準備したという,むしろ両社会の連続性を強調しうる証拠が提示されている。

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世界大百科事典(旧版)内の数量経済史の言及

【経済史学】より

…こうして経済史は〈純粋な,あまりに純粋な〉経済史の立場を超え,隣接諸科学との関連を深めるとともに,経済史そのものの方法の多様化を模索しつつある。すなわち,一方で,歴史事象の数量的・統計的把握,とりわけ計量経済学モデルによる検証を試みる〈新しい経済史〉(数量経済史,計量経済史)の台頭があり,他方では制度史的接近や社会史・生活史の立場,経済人類学あるいは歴史人口学的アプローチなどが存在する。さらに,世界資本主義論など,経済史研究における国際的契機の強調,とりわけ,旧植民地諸地域における〈低開発の発展〉を重視しつつ,総じて16世紀以降の各国経済史を世界市場における〈支配と従属〉の変遷史として総括し再構成しようとする従属学派ないし世界システム論も注目を集めている(従属論)。…

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