新保広大寺(読み)シンポコウダイジ

デジタル大辞泉 「新保広大寺」の意味・読み・例文・類語

しんぽ‐こうだいじ〔‐クワウダイジ〕【新保広大寺】

新潟県民謡十日町市付近の踊り歌もと越後瞽女ごぜ門付け歌で、十日町禅寺広大寺の和尚行状を歌ったものという。瞽女飴売りなどによって広められ、各地の民謡に影響を与えた。

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精選版 日本国語大辞典 「新保広大寺」の意味・読み・例文・類語

しんぽ‐こうだいじ‥クヮウダイジ【新保広大寺】

  1. 〘 名詞 〙 民謡。もと越後地方のもので、安永一七七二‐八一)頃から江戸にも流行。元来、神楽の踊り歌で、越後国魚沼郡新保村(新潟県十日町市下組)の広大寺の住職が、門前豆腐屋の若後家と深い仲になったのを歌い出したとの伝説があるが、「こだいじ」「古代神」などさまざまの名で呼ばれて各地の民謡に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新保広大寺」の意味・わかりやすい解説

新保広大寺
しんぽこうだいじ

日本民謡の曲名の一つで、わが国の遊芸人の唄(うた)の主流をなすもの。源流は不明だが、越後瞽女(えちごごぜ)が門付(かどづけ)の軒先で歌う『こうといな』あたりが元と思われる。

 この背景をたどると、新潟県十日町市下組(しもぐみ)新保にある禅寺の広大禅寺14代目の白岩亮端和尚(おしょう)の時代、信濃(しなの)川の中州の耕作権をめぐって、寺島新田と上ノ島新田の農民が対立した事件にいきあたる。寺は寺島新田側につき、一方上ノ島新田側には縮(ちぢみ)問屋の組合頭・最上屋(もがみや)上村藤右衛門邦好がついて、ついには寺と最上屋の争いになってしまった。そこで最上屋は寺の和尚を追い出すことを考え、先の『こうといな』あたりを元に、和尚の悪口唄の替え唄をつくらせ、瞽女をはじめとする遊芸人から反対派の農民にまで歌わせた。それは1782~83年(天明2~3)のことで、そのときの歌詞が「新保広大寺メクリこいて負けた」とか「新保広大寺の和讃(わさん)のなかに色という字が……」といったものであったことから『新保広大寺』とよばれるようになった。これはのちに瞽女の手で七七七七の4句を一単位にして、必要なだけ繰り返して歌う長編の「口説節(くどきぶし)」に形が変えられると、読売りや飴(あめ)売りなどの手を経て諸国に広まり始め、『八木節(やぎぶし)』(群馬県)、『秋田飴売唄』(秋田県)、『津軽じょんがら節』(青森県)、『道南口説』(北海道)などになっていった。

[竹内 勉]

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改訂新版 世界大百科事典 「新保広大寺」の意味・わかりやすい解説

新保広大寺 (しんぼこうだいじ)

新潟県下に広く行われる踊歌。発生の由来については,元禄年間(1688-1704),中魚沼郡下条(げじよう)村新保(現,十日町市)の禅寺広大寺の和尚が,寺の門前の豆腐屋の若後家お市となれそめたことが評判となり,流行歌(はやりうた)として歌い囃され,1784年(天明4)以降には江戸市中にまで広められたという。7・7・7・5形の小歌から,やがてクドキ化して《殿さ節》となり,各地に伝播(でんぱ)して民謡化している。たとえば新潟県下はもちろん,京都,広島の《こだいじ》,岐阜の《こだいじ踊》,富山の《古代神》,島根の《こだいず踊》から,群馬,栃木の《八木節》,青森の《津軽じょんから節》にいたるまで,いずれもみな同系の歌である。
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世界大百科事典(旧版)内の新保広大寺の言及

【津軽じょんから節】より

…語り物風の口説(くどき)の一種で,《津軽よされ節》《津軽おわら節》とともに〈津軽の三つもの〉と呼ばれる。越後の《新保(しんぼ)広大寺》の〈くずし〉が《殿さ節》《やんれ節》として元禄時代(1688‐1704)末に関東から東北にかけて流行し,これが《津軽じょんから節》の曲調を生んだという。曲調は3度変わり,現在の歌には原調は失われている。…

※「新保広大寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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