朝鮮民主主義人民共和国,平安北道北西端の都市。人口32万6011(1993)。鴨緑江河口から約25kmの南岸に位置する。川を隔てて中国の丹東(旧,安東)と相対する国境都市であり,陸路で中国から北朝鮮へ入る主要通路となっている。また平安北道の道都として,西北朝鮮の政治・経済の中心地をなす。李朝時代までは,新義州から鴨緑江の上流19kmの距離にある義州に国境防備の要地として軍営が設置され,また中国との間に国境貿易が行われ,湾商とよばれる義州商人が活躍するなど,義州がこの地域の中心地であった。1906年,日露戦争を契機に京義鉄道がソウルから新義州まで開通し,また対岸の安東市とを結ぶ鴨緑江鉄橋(944m)が1911年に完成すると,経済はもちろん行政の中心も新義州に移り,義州は山間の小都市に後退した。鴨緑江の氾濫原に計画的に建設された新義州の市街地は碁盤状に整然と区画され,朝鮮の他の都市に見られない特徴的な景観を示している。日本植民地時代,新義州は鴨緑江上流域から切り出された木材の集積地となり,大規模な製材工場や製紙工場が建設された。植民地時代末期に鴨緑江上流に水豊ダムが完成し,水力発電が始められると,人絹や化学薬品などの化学工業が興るようになった。朝鮮戦争後はさらに化学繊維,樹脂をはじめ各種の機械工業も発達し,西北朝鮮第一の総合的工業地帯に成長した。鴨緑江鉄橋は今日北朝鮮随一の国際鉄橋として維持され,平壌と北京間を往復する直行列車が走っている。
執筆者:谷浦 孝雄
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北朝鮮、平安北道(へいあんほくどう/ピョンアンプクド)西部にある都市。道の所在地。鴨緑江(おうりょくこう)河口より40キロメートル上流の左岸の沖積地にある。中国の安東(あんとう/アントン)(現丹東(たんとう/タントン))との間の鉄道架橋の地点となり、また道所在地を義州(ぎしゅう/ウィチュ)から移転(1924)して、国境都市として急速に発展した。1911年竣工(しゅんこう)した新義州―丹東間の鉄橋は全長944メートル。橋の中央は船舶通航のため回転開閉式によって開閉していたが、橋梁(きょうりょう)保存上34年より中止した。新義州は代表的な軽工業基地で、製紙、繊維、日用品など60余の企業体がある。市の南方山麓(さんろく)には楽元機械工場と紡績機械工場があり、市の南郊には毛紡績工場、アシを原料とするスフ生産工場がある。また朝鮮戦争後、中国の援助による国内屈指のほうろう質鉄器工場がある。
[魚 塘]
…朝鮮八道の一つで,関西地方とも呼ばれる。現在は朝鮮民主主義人民共和国に属し,平安北道(道都,新義州),平安南道(道都,平城市。平壌市の北郊が1968年分離したもの),慈江道(1949新設。…
※「新義州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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