日ソ漁業条約(読み)にっソぎょぎょうじょうやく

精選版 日本国語大辞典 「日ソ漁業条約」の意味・読み・例文・類語

にっソ‐ぎょぎょうじょうやく ‥ギョゲフデウヤク【日ソ漁業条約】

昭和三一年(一九五六)、日本ソ連との間に締結された漁業条約。北西太平洋の漁業資源の保護を目的として、漁業規制を設けたもので、これに基づいて設置された日ソ漁業委員会が、毎年両国漁獲量方法・禁止区域などを取り決めた。同五二年、ソ連の二〇〇海里漁業水域設定に伴い破棄され、同六〇年新たに日ソ漁業協力協定が締結された。

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デジタル大辞泉 「日ソ漁業条約」の意味・読み・例文・類語

にっソ‐ぎょぎょうじょうやく〔‐ギヨゲフデウヤク〕【日ソ漁業条約】

昭和31年(1956)北西太平洋における漁業資源の保護と有効利用を目的として日ソ間で結ばれた条約。これに基づき、両国のサケ・マスなどの漁獲量・操業水域漁期などが毎年取り決められた。同52年、ソ連の200海里漁業専管水域宣言に伴い廃止

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改訂新版 世界大百科事典 「日ソ漁業条約」の意味・わかりやすい解説

日ソ漁業条約 (にっソぎょぎょうじょうやく)

日本とソ連の間で1928年と56年に結ばれた漁業条約。

(1)日ソ基本条約3条の規定に従って,1928年に,特命全権大使田中都吉と外務人民委員代理カラハンL.M.Karakhanとの間でモスクワで結ばれた。それは,(a)日本海,オホーツク海ベーリング海ソビエト属地沿岸における魚類,水産物の捕獲・採取および加工する権利の規定(1条),(b)捕獲,採取,加工のための漁区の貸付けは,両国民が差別なく競売によってなされること(2条),(c)税金,課金,手数料徴収の平等(4条),(d)漁業権取得者の魚類,水産物の日本への輸出の自由(9条),(e)漁業権を取得したソビエト漁民と同一待遇を受ける権利(14条)など16条からなり,北洋漁業権を広範に日本に認めたものであった。有効期限は8年で,35年から日本は漁業権の強化をめざしたが,交渉は長引き,36年11月の日独防共協定にソビエトは態度を硬化させ,1年ごとの暫定協定となった。その後,この協定はソビエトにとっての有力な外交武器となり,漁業区域も徐々に制限され,45年ソビエトの対日参戦で破棄された。

(2)第2次大戦後,両国の漁業取決めは空白状態であったが,講和条約締結後,日本は北洋サケ・マス漁業を開始した。これに対しソビエトは,1956年3月ブルガーニン・ライン(カムチャツカ半島周辺での一方的漁業規制区域)を設けたため,日ソ間の交渉がはじまり,5月モスクワで,農相河野一郎と漁業相イシコフAleksandr A.Ishkovの間で日ソ漁業条約が締結され,日ソ共同宣言発効とともに効力を生じた。この条約では,漁業資源の保存・発展のための協同措置をとる(2条)ために,年間総漁獲量の決定をし,その報告を提出すること(4条)などが決められ,そのために北西太平洋日ソ漁業委員会が設置されること(3条)になった。また,付属書では,サケ,マス,ニシン,カニの漁期,適用水域,網目制限などの具体的な規制がなされた。

 77年,ソ連によって200海里漁業専管水域が実施され,この問題で,同年中に日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定が締結された。この二つの協定は,84年に日ソ地先沖合漁業協定として一体化された。200海里外の漁業協定としては,日ソ漁業協力協定が1978年に締結されたが84年に失効し,85年,日ソ漁業協力協定が新たに締結された。日ロ両国(1991年末,ソ連をロシア連邦が継承)の主張はつねに対立し,操業中断,減船,協力金支払い問題などを生じている。また92年2月,日本・アメリカ・カナダ・ロシア4国で〈北太平洋サケ・マス保存条約〉が締結されて北太平公海でのサケ・マスの漁獲が禁止されたため,日ロ間では両国の協議により両国の水域での操業が続けられている。なお,97年末の協定により北方4島周辺水域への入漁交渉が妥結した。
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百科事典マイペディア 「日ソ漁業条約」の意味・わかりやすい解説

日ソ漁業条約【にっソぎょぎょうじょうやく】

西経175°以西の北西太平洋における漁業に関する日本・ソ連間の条約。1956年締結。1977年にソ連は200カイリ漁業水域(200カイリ水域)設定に伴って,日ソ漁業条約の破棄を通告。代わって同年日ソ漁業暫定協定が発効した。ソ連200カイリ水域内での日本漁船の漁獲できる魚種と数量はソ連政府が指定。さらに200カイリ水域内への入漁船はその隻数を制限されたうえに,ソ連政府発行の許可証を必要とし,漁獲量の通報や操業日誌の記載が義務づけられた。200カイリ水域外に関しては,日ソ漁業条約が1978年に更新されたが1984年に失効し,1985年新たに日ソ漁業協力協定が締結された。これには,サケ・マスの母川国としてのソ連の主張が強く打ち出された。ソ連崩壊後,ロシア共和国がその権利・義務を継承した。
→関連項目漁業サケ・マス漁業日露漁業交渉北洋漁業

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日ソ漁業条約」の意味・わかりやすい解説

日ソ漁業条約
にっソぎょぎょうじょうやく

1956年5月日ソ間で締結された条約。正式には「北西太平洋の公海における漁業に関する日本国とソビエト社会主義共和国連邦との間の条約」。対象区域は日本海,オホーツク海およびベーリング海を含む北西太平洋の全水域 (領海を除く) 。毎年1回以上日ソ漁業委員会が開かれ,サケ,マス,ニシン,カニなどについて,資源の保存と増大をはかり,最大の持続的生産性を維持するための協同規制措置が決定された。この措置は日ソ双方に平等に適用されることとなっているものの,サケ,マスの場合にはソ連は領海および領土内の河川で漁獲し,日本は公海で漁獲するため,公海を条約区域とするこの条約では,事実上日本のみが規制措置の適用を受けることとなり,交渉は毎年難航した。期限は 10年で,以後は1年の予告をもって一方的に廃棄できることになっていた。 200カイリ漁業専管水域を採用したソ連は,77年4月同条約の破棄を通告。それに代るものとして,ソ連の 200カイリ水域内については日ソ漁業暫定協定,200カイリ外の公海については日ソ漁業協力協定が結ばれた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日ソ漁業条約」の解説

日ソ漁業条約
にっソぎょぎょうじょうやく

漁業問題に関する日ソ両国間の条約。1928年(昭和3)に締結されたが,それまでには日露漁業協約以来の漁業権益の拡大をもくろむ日本と,帝政期の条約を破棄し社会主義経済体制の建設をめざすソ連との対立激化もあった。有効期間8年を過ぎた36年以後,1年ごとに条約延長の暫定協定を結び,44年には効力5年の条約に調印したが,日本の敗戦によって無効となった。第2次大戦後のサケ・マス漁業は52年から始まったが,56年ブルガーニン・ラインの設定通告後,新たな日ソ漁業条約が締結され,同年末の日ソ国交正常化により発効した。対象魚種はサケ・マス・ニシン・カニ(ツブを含む)。200カイリ元年である77年の日ソ漁業暫定協定成立まで,同条約にもとづき日ソ漁業交渉が行われた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日ソ漁業条約」の解説

日ソ漁業条約
にっソぎょぎょうじょうやく

オホーツク海・ベーリング海を含む北西太平洋での漁業権に関する日本・ソ連両国間の条約
①1928年,モスクワで調印された条約。有効期間8年を過ぎた'36年以後1年ごとに条約延長の暫定協定を結び,'44年には効力5年の条約に調印したが,日本の敗戦で無効になった。
②1956年5月,河野一郎とソ連代表イシコフは,漁業資源保護のため,サケ・マス漁獲量の交渉を行う日ソ漁業委員会の設置について同意し調印。200カイリ元年である'77年の日ソ漁業暫定協定成立まで,この条約に基づき日ソ漁業交渉が行われた。

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