日本とソ連の間で1928年と56年に結ばれた漁業条約。
(1)日ソ基本条約3条の規定に従って,1928年に,特命全権大使田中都吉と外務人民委員代理カラハンL.M.Karakhanとの間でモスクワで結ばれた。それは,(a)日本海,オホーツク海,ベーリング海のソビエト属地沿岸における魚類,水産物の捕獲・採取および加工する権利の規定(1条),(b)捕獲,採取,加工のための漁区の貸付けは,両国民が差別なく競売によってなされること(2条),(c)税金,課金,手数料徴収の平等(4条),(d)漁業権取得者の魚類,水産物の日本への輸出の自由(9条),(e)漁業権を取得したソビエト漁民と同一待遇を受ける権利(14条)など16条からなり,北洋漁業権を広範に日本に認めたものであった。有効期限は8年で,35年から日本は漁業権の強化をめざしたが,交渉は長引き,36年11月の日独防共協定にソビエトは態度を硬化させ,1年ごとの暫定協定となった。その後,この協定はソビエトにとっての有力な外交武器となり,漁業区域も徐々に制限され,45年ソビエトの対日参戦で破棄された。
(2)第2次大戦後,両国の漁業取決めは空白状態であったが,講和条約締結後,日本は北洋サケ・マス漁業を開始した。これに対しソビエトは,1956年3月ブルガーニン・ライン(カムチャツカ半島周辺での一方的漁業規制区域)を設けたため,日ソ間の交渉がはじまり,5月モスクワで,農相河野一郎と漁業相イシコフAleksandr A.Ishkovの間で日ソ漁業条約が締結され,日ソ共同宣言発効とともに効力を生じた。この条約では,漁業資源の保存・発展のための協同措置をとる(2条)ために,年間総漁獲量の決定をし,その報告を提出すること(4条)などが決められ,そのために北西太平洋日ソ漁業委員会が設置されること(3条)になった。また,付属書では,サケ,マス,ニシン,カニの漁期,適用水域,網目制限などの具体的な規制がなされた。
77年,ソ連によって200海里漁業専管水域が実施され,この問題で,同年中に日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定が締結された。この二つの協定は,84年に日ソ地先沖合漁業協定として一体化された。200海里外の漁業協定としては,日ソ漁業協力協定が1978年に締結されたが84年に失効し,85年,日ソ漁業協力協定が新たに締結された。日ロ両国(1991年末,ソ連をロシア連邦が継承)の主張はつねに対立し,操業中断,減船,協力金支払い問題などを生じている。また92年2月,日本・アメリカ・カナダ・ロシア4国で〈北太平洋サケ・マス保存条約〉が締結されて北太平公海でのサケ・マスの漁獲が禁止されたため,日ロ間では両国の協議により両国の水域での操業が続けられている。なお,97年末の協定により北方4島周辺水域への入漁交渉が妥結した。
執筆者:高橋 彦博
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漁業問題に関する日ソ両国間の条約。1928年(昭和3)に締結されたが,それまでには日露漁業協約以来の漁業権益の拡大をもくろむ日本と,帝政期の条約を破棄し社会主義経済体制の建設をめざすソ連との対立激化もあった。有効期間8年を過ぎた36年以後,1年ごとに条約延長の暫定協定を結び,44年には効力5年の条約に調印したが,日本の敗戦によって無効となった。第2次大戦後のサケ・マス漁業は52年から始まったが,56年ブルガーニン・ラインの設定通告後,新たな日ソ漁業条約が締結され,同年末の日ソ国交正常化により発効した。対象魚種はサケ・マス・ニシン・カニ(ツブを含む)。200カイリ元年である77年の日ソ漁業暫定協定成立まで,同条約にもとづき日ソ漁業交渉が行われた。
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