( 1 )中国、宋代の画家宋迪(そうてき)(=字は復古)が景勝地として名高い瀟湘周辺を描いた八枚の絵画が発端といわれる。宋代に画僧牧谿(もっけい)と玉澗がでて以降、八景図は山水画の重要な画題として発展していった。一方、その賛としての詩も宋代の詩人(僧・覚範とも、蘇軾とも)に始まる。
( 2 )日本には三関、七高山などと呼ばれるものはあったが、それらは景観に関するものではなかった。瀟湘八景の絵画及び詩が鎌倉時代に伝わると、周文、宗湛、宗継、祥啓、雪村、相阿彌、狩野元信、狩野永徳など多くの画家に描かれた。
( 3 )韻文学のほうでは、遅くとも一三世紀後半には瀟湘八景和歌(定家とも、為相とも)が詠まれているが、特に一四世紀以降、五山の僧が多く詩題として取り上げるようになっていった。
一定の空間の中にある絶景を八つ定めて,八景としてめでる感覚は,中国から渡来したものである。本居宣長《玉勝間》巻十二にも,〈もともろこしの国の,なにがしの八景といふをならひてさだめたる〉と記されており,日本では慶長・元和(1596-1624)のころからしだいに人口に膾炙(かいしや)しはじめた。最初にいいだされた八景は近江八景といわれ,京都円光寺の長老が近江に蟄居しているとき,中国の瀟湘(しようしよう)八景になぞらえたものという。すなわち,比良の暮雪,矢橋(やばせ)の帰帆,石山の秋月,勢田の夕照,三井の晩鐘,堅田の落雁,粟津の晴嵐,唐崎の夜雨の八景である。これをモデルとして,各地に八景の称が次々と生まれた。京都の八景,南都の八景,嵯峨の八景,稲荷山の八景,泉涌寺の八景など,いずれも限定された空間の内部に定め,それらを描写する漢詩や和歌がそえられている。公家や武家の上流社会の風習で,江戸時代には大名旗本などの別荘のある土地に競って八景を作り,風流を楽しむ傾向があった。
執筆者:宮田 登
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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