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月照 げっしょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

月照
げっしょう

[生]文化10(1813).大坂
[没]安政5(1858).11.16. 鹿児島
江戸時代末期の浄土真宗の僧で攘夷論者。京都清水寺の住職。俗名は玉井忍向。尊王攘夷運動を志し,寺を弟に譲って運動に身を投じた。吉田松陰梅田雲浜近衛忠煕西郷隆盛らと交わり安政の大獄を逃れて薩摩におもむいたが,藩が拒否したので西郷隆盛と錦江湾入水自殺をはかり,隆盛は蘇生したが,月照は絶命した。

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デジタル大辞泉の解説

げっしょう〔ゲツセウ〕【月照】

[1813~1858]江戸末期の法相(ほっそう)宗の僧。京都清水寺成就院の住職。大坂の人。号、無隠庵。尊攘派として国事に奔走。安政の大獄に際し西郷隆盛らと薩摩(さつま)に逃れたが、藩の保護を断られ、錦江湾に投身。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

月照 げっしょう

1813-1858 江戸時代後期の僧。
文化10年生まれ。大坂の人。京都清水寺成就院の住持。尊攘(そんじょう)運動にくわわり,安政5年梅田雲浜(うんぴん)らと水戸藩に密勅をくだすのに尽力。安政の大獄で幕府に追われ,西郷隆盛らと薩摩(さつま)へ逃亡。鹿児島藩から滞在を拒否され,同年11月16日西郷とともに錦江湾に身をなげた。46歳。俗名は玉井宗久。法名は忍鎧,忍向。号は中将房,無隠庵など。
【格言など】くもりなき心の月と諸共に沖の波間にやがて入りぬる(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

月照

没年:安政5.11.16(1858.12.20)
生年:文化10(1813)
幕末の勤王僧。大坂の町医師玉井宗江の子。文政10(1827)年,清水寺成就院蔵海の室に入り,得度して忍介(忍鎧)を名とす。時に年15歳。天保6(1835)年蔵海の死去により成就院持住,一山の改革に着手したが成功せず,嘉永6(1853)年7月に出奔し北越を旅し,翌安政1(1854)年2月境外隠居の処分を受く。このころから月照を名とする。清水寺が近衛家の祈願寺の一であったことから,当主忠煕と交流があった。近衛家と島津家とは姻戚関係にあり,ここから薩摩(鹿児島)藩士との交流が始まる。安政5年,西郷隆盛,海江田信義らの井伊幕政打倒工作に参画。尊攘派志士への逮捕が始まって,同年9月京を脱し鹿児島に逃れるが,薩摩藩庁から退去を命ぜられ西郷と共に入水,死去した。辞世の句にいう。「大君のためには何かをしからん 薩摩の迫門に身は沈むとも」。<参考文献>友松円諦『月照』

(井上勲)

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世界大百科事典 第2版の解説

げっしょう【月照】

1813‐58(文化10‐安政5)
幕末の僧侶,志士。諱(いみな)は宗久,通称忍向,月照は号。大坂の町医玉井鼎斎の長男。15歳で京都清水寺成就院に入り,23歳で住職となる。1854年(安政1)寺務を弟信海に譲り尊攘運動に挺身,水戸藩への戊午の密勅降下に尽力した。このため安政の大獄のさい追及を受け,西郷隆盛らに守られ薩摩藩に難を避けんとしたが入れられず,西郷と錦江湾に入水自殺(西郷は蘇生)。《落葉塵芬集》《詠草》の著作がある。【山口 宗之】

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大辞林 第三版の解説

げっしょう【月照】

1813~1858) 幕末の尊皇家。京都清水寺成就院の住職。国事に奔走。安政の大獄の難を西郷隆盛とともに薩摩に逃れたが、藩にいれられず、隆盛と錦江湾に入水して絶命。隆盛は救助された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

月照
げっしょう
(1813―1858)

江戸末期の志士、僧。讃岐(さぬき)(香川県)出身の大坂の町医玉井宗江の子に生まれる。幼名宗久。1827年(文政10)叔父清水寺(きよみずでら)成就院(じょうじゅいん)住職蔵海(ぞうかい)の下で得度。中将房忍鎧(介)(にんがい)、のち忍岡(にんこう)と改名、字(あざな)は月照、無隠庵(むいんあん)・一鋒(いっぽう)と号した。35年(天保6)成就院住職となり同院の復興に努めた。青蓮院宮(しょうれんいんのみや)、近衛忠煕(このえただひろ)ら堂上に出入りし、ことに忠煕に和歌を学ぶ。54年(安政1)住職を弟信海に譲り国事に奔走、58年梅田雲浜(うんぴん)、頼三樹三郎(らいみきさぶろう)らと交わり攘夷(じょうい)の勅諚(ちょくじょう)を水戸藩に下すことに成功した。安政の大獄に際し西郷隆盛(たかもり)とともに鹿児島に行くが、薩(さつ)藩当局にいれられず、同年11月16日西郷とともに錦江(きんこう)湾に入水(じゅすい)。西郷は助かったが、月照は没した。墓は京都清水寺にある。[芳 即正]
『友松円諦著『月照』(1961・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の月照の言及

【西郷隆盛】より

…1844年(弘化1)郡方書役助ついで郡方書役となり,その間,農政に関する意見書で藩主島津斉彬に見いだされて側近に抜擢され,一橋慶喜将軍継嗣問題で活躍,天下に広く知られるようになった。しかし,58年(安政5)大老井伊直弼の登場と斉彬の急死で窮地に陥り,同志僧月照と鹿児島湾に投身自殺を試みたが西郷のみ蘇生。そこで,菊池源吾と変名して奄美大島に潜居を余儀なくされた。…

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