デジタル大辞泉
「有坂成章」の意味・読み・例文・類語
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有坂成章
ありさかなりあきら
(1852―1915)
兵器製造の功労者。周防(すおう)国(山口県)岩国に生まれる。1874年(明治7)幼年学校教官に任ぜられて以来、兵器改良に没頭した。1892年陸軍で速射砲採用決定後、内外の速射砲が各種比較されたなかで、彼の発明が優れており、三十一年式速射野砲として採用された。小口径かつ5連発の三十年式歩兵銃も創製し、いずれも日露戦争(1904~1905)ではロシアの銃砲に比べ、軽量で行動力に勝り、日本の勝利に貢献した。また信管の加量筒をスズ製とし、活字製造機での鋳造を考案、機械工業の未発達な当時の日本で、精密機械加工を省略し、急を要する弾丸補給を可能とした。砲兵会議議長、砲兵工廠(ほうへいこうしょう)提理、陸軍技術審査部長を歴任。陸軍中将。
[石山 洋]
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有坂成章 (ありさかなりあきら)
生没年:1852-1915(嘉永5-大正4)
明治時代の軍事技術者。岩国に生まれる。祖父淳蔵,父隆助は砲術家高島秋帆の門に学んだ岩国藩士。大阪兵学寮の幼年舎出身。数学,機械学,フランス語に長ずる。欧米諸国の軍用銃視察のため派遣されて以来兵器の改良に没頭し,旧日本陸軍軍用銃・砲を考案した。東京砲兵工厰提理であった1896年に有坂砲を試作したが,これは日本で最初の75mm鋼製砲で,金属薬莢(やつきよう)(無煙火薬使用),ねじ式閉鎖機を採用した。この有坂砲は1900年に三十一年式速射野山砲として採用され,日露戦争で使用された。また三十年式銃を開発するなど,銃・砲の開発に貢献した。06年陸軍中将,07年男爵。
執筆者:升本 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
有坂 成章
アリサカ ナリアキラ
明治期の陸軍中将,大砲発明者
- 生年
- 嘉永5年2月18日(1852年)
- 没年
- 大正4(1915)年1月12日
- 出生地
- 周防国岩国(山口県岩国市)
- 旧姓(旧名)
- 木部
- 経歴
- 慶応2年岩国藩の日新隊に入り、戊辰戦争に参加。明治6年陸軍兵学寮で語学専修生となり、15年砲兵大尉。このころから火砲の改良に尽力、23年砲兵会議審査官、29年東京砲兵工廠提理となり、31年有坂砲といわれる31年式速射砲を完成。国内生産だけでなく独仏両国にも注文して日露戦争に威力を発揮した。旅順攻略に26サンチ榴弾砲の使用を提案、陥落の要因となった。39年中将。44年技術審査部長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
有坂成章
没年:大正4.1.12(1915)
生年:嘉永5.2.18(1852.3.8)
明治期の銃砲設計家。岩国藩(山口県)藩士で砲術家の木部左門の次男。同藩士有坂長良の養子。明治7(1874)年陸軍兵学寮出仕,15年砲兵大尉,主に銃砲製造を研究してヨーロッパへも出張。国産初の陸戦用速射砲である31年式の野砲・山砲と30年式小銃を開発した。これらは日露戦争(1904~05)の陸軍主力兵器となる。39年中将に進む。44年技術審査部長。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
有坂成章 ありさか-なりあきら
1852-1915 明治時代の軍人。
嘉永(かえい)5年2月18日生まれ。有坂長為は養祖父。陸軍兵学寮を卒業後,東京砲兵工廠(こうしょう)に勤務,大砲の改良につくす。発明した三十一年式速射野砲は有坂砲とよばれ,日露戦争で全陸軍に配備された。明治39年陸軍中将。大正4年1月12日死去。64歳。周防(すおう)(山口県)出身。本姓は木部。
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有坂成章
ありさかなりあきら
[生]嘉永5(1852).8. 岩国
[没]1915.1.12.
陸軍軍人。三十年式歩兵銃,有坂式 (三一式) 速射砲などの発明者で,旧日本陸軍の兵器技術の向上に貢献。旅順要塞攻略に活躍。 1906年中将,07年男爵。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
有坂 成章 (ありさか なりあきら)
生年月日:1852年2月18日
明治時代の陸軍軍人。中尉
1915年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報