日本歴史地名大系 「有家」の解説
有家
ありえ
中世、有家有間両村」とみえ、両村の地頭兼預所職などが相伝知行として開田遠員に安堵されているが、これは遠員が証文を紛失したためで、武藤資経らにその実否を確かめたうえでなされている。南北朝期、島原半島に浸透していた征西将軍宮の勢力を討つため、九州探題の今川了俊は応安七年(一三七四)七月に自ら
一五七六年(天正四年)フロイスが赴いたアリエは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報