日本大百科全書(ニッポニカ) 「西有家」の意味・わかりやすい解説
西有家
にしありえ
長崎県南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(西有家町(ちょう))。現在は南島原市(みなみしまばらし)の中央部を占める。旧西有家町は1927年(昭和2)町制施行。2006年(平成18)深江(ふかえ)、布津(ふつ)、有家、北有馬(きたありま)、南有馬、加津佐(かづさ)、口之津(くちのつ)の7町と合併、市制施行して南島原市となった。旧西有家町域は島原(しまばら)半島の南東部に位置し、国道251号が通じ、須川(すかわ)港からは天草(あまくさ)へのフェリーの便がある。町の中心集落、須川は島原の乱後、小豆(しょうど)島(香川県)からの移民がもたらしたそうめんの特産地として知られる。町内の集落名には、慈恩寺(じおんじ)、観音寺など寺院名のものが多い。これは、僧行基(ぎょうき)が雲仙(うんぜん)に寺坊を開き、この地にも僧坊を建てた名残(なごり)と伝えられる。引無田(ひきむた)の須川温泉は、1922年(大正11)地震によって海岸砂丘の地割れから熱湯が湧出(ゆうしゅつ)した過去の事実を手掛りとしてボーリングによって開発した温泉である。同じ砂丘の中から発掘された1610年(慶長15)のキリシタン墓碑(国史跡)は、ローマ字金石文や西暦年号が刻まれたものとしては日本最古のものである。町の西部を占める扇状地上ではミカン栽培が盛んで、さらに背後の高岩(たかいわ)山(881メートル)には奇岩帆柱(ほばしら)石が五穀の神として祀(まつ)られている。海岸の漁家は120余戸で、その半数は対馬(つしま)近海への4~5か月にわたる長期出漁を行う。
[石井泰義]