デジタル大辞泉
「朝山日乗」の意味・読み・例文・類語
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朝山日乗
没年:天正5(1577)
生年:生年不詳
戦国時代の僧侶。出身を出雲(島根県)朝山郷とし,因んで朝山を姓とする説が流布しているが,美作(岡山県)出身とするのが有力。朝山も姓でなく法名とする見解があり決し難い。弘治1(1555)年上洛し,三千院で出家。従って宗派は通説のように日蓮宗ではなく天台宗である。このとき後奈良天皇から上人号の宣下を受ける。これは日乗の「夢想」を近衛前久が天皇に奏したためであるが,後年の『太閤記』はこの「夢想」を内裏造営のこととする。以後朝廷に出仕し御所の営繕に従事,また室町幕府の委嘱で永禄6(1563)年には毛利・大友間の和平調停にも奔走した。同10年三好三人衆の部将篠原長房に咎められ摂津西宮の獄にあったが,翌年4月勅許により赦免。同年9月の織田信長上洛以降は織田氏と朝廷の間に周旋し,また内裏修造奉行となった。キリスト教を嫌い,翌12年4月には策動して宣教師追放の綸旨を得たが,信長臨席下の宗論で修道士ロレンソの舌鋒に敗れ,綸旨も失効した。宣教師を排撃し,キリスト教を保護しようとする和田惟政らを讒したため,フロイスなどには悪しざまに記録されている。同年7月には木下(豊臣)秀吉らの山陰出兵に検使として従軍したが,そののち信長の寵を失った。天正1(1573)年末に禁裏領丹波山国荘回復のため入部したのが記録にみえる活動の最後である。同3年3月に信長から勘当されたと推定される。昭和初年,京都知恩寺の無縁墓中に墓が発見された。戦前は勤王僧として顕彰され,戦後はキリスト教排斥の妖僧として非難されるが,戦国末期を彩る一傑僧には違いない。<参考文献>荻野三七彦「怪僧日乗について」(『日本歴史』528号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
朝山日乗(ちょうざんにちじょう)
ちょうざんにちじょう
(?―1577)
戦国時代の日蓮(にちれん)宗の僧。出雲(いずも)朝山(あさやま)郷出身。織田信長の奉行人(ぶぎょうにん)。出家して日乗上人朝山(しょうにんちょうざん)。宮廷、幕府、近衛(このえ)家に出入りし、1568年(永禄11)9月に信長が上洛(じょうらく)すると、登用され、翌1569年将軍足利義昭(あしかがよしあき)との間に結ばれた和約の条書の証人の一人になった。1570年(元亀1)から村井貞勝(むらいさだかつ)(?―1582)とともに皇居修理の奉行。1572年信長は毛利氏に説き、豊後(ぶんご)(大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)を上洛させようとする。そのとき日乗は武井夕庵(たけいせきあん)(生没年不詳)とともに副状(そえじょう)を発給した。キリシタンを排斥しようとし、1569年4月には、宣教師ルイス・フロイスと信長の面前で宗論して敗れた。宣教師の保護者和田惟政(わだこれまさ)(1530―1571)を構陥したため失脚。晩年は浄土宗に帰依したという。
[奥野高広 2017年9月19日]
『三浦周行著『歴史と人物』(1916・東亜堂書房)』
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朝山日乗
あさやまにちじょう
[生]?
[没]天正5(1577).9.
戦国時代の法華宗の僧。出雲朝山の人といわれる。俗名は善茂。西籍にはニキジョショニンとして知られる。永禄6 (1563) 年足利義輝の使僧として大友,毛利両氏の争いを調停。同 11年足利義昭を奉じた織田信長の入京後,登用されて村井貞勝とともに皇居造営の大工奉行役をつとめ,政務に参与した。同 12年キリスト教排斥のため,信長の前で行なったイエズス会士ルイス・フロイスとの宗論に敗れた。のち和田惟攷を陥れようとして失敗し,信長の信任を失った。
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朝山日乗 あさやま-にちじょう
?-1577 戦国-織豊時代の僧。
弘治(こうじ)元年(1555)京都の天台宗三千院で出家,後奈良天皇から日乗上人の号をあたえられる。織田信長に重用され,内裏(だいり)修造などにあたった。永禄(えいろく)12年イエズス会のフロイスおよびロレンソとの宗論に敗れた。天正(てんしょう)5年9月15日死去。出雲(いずも)(島根県)出身。俗名は善茂。朝山を姓でなく法名「ちょうざん」とみる説もある。
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世界大百科事典(旧版)内の朝山日乗の言及
【日乗朝山】より
…戦国末織田政権期の政僧。朝山日乗とするのは俗説。弘治年間(1555‐58)朝家復興に尽力して後奈良天皇より上人号を授かった。…
【日乗朝山】より
…戦国末織田政権期の政僧。朝山日乗とするのは俗説。弘治年間(1555‐58)朝家復興に尽力して後奈良天皇より上人号を授かった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」