朝山日乗(読み)アサヤマニチジョウ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝山日乗」の意味・わかりやすい解説

朝山日乗(ちょうざんにちじょう)
ちょうざんにちじょう
(?―1577)

戦国時代の日蓮(にちれん)宗の僧。出雲(いずも)朝山(あさやま)郷出身。織田信長奉行人(ぶぎょうにん)。出家して日乗上人朝山(しょうにんちょうざん)。宮廷、幕府、近衛(このえ)家に出入りし、1568年(永禄11)9月に信長が上洛(じょうらく)すると、登用され、翌1569年将軍足利義昭(あしかがよしあき)との間に結ばれた和約の条書の証人の一人になった。1570年(元亀1)から村井貞勝(むらいさだかつ)(?―1582)とともに皇居修理の奉行。1572年信長は毛利氏に説き、豊後(ぶんご)(大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)を上洛させようとする。そのとき日乗は武井夕庵(たけいせきあん)(生没年不詳)とともに副状(そえじょう)を発給した。キリシタンを排斥しようとし、1569年4月には、宣教師ルイス・フロイスと信長の面前で宗論して敗れた。宣教師の保護者和田惟政(わだこれまさ)(1530―1571)を構陥したため失脚晩年は浄土宗に帰依したという。

奥野高広 2017年9月19日]

『三浦周行著『歴史と人物』(1916・東亜堂書房)』


朝山日乗(あさやまにちじょう)
あさやまにちじょう

朝山日乗

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝山日乗」の意味・わかりやすい解説

朝山日乗
あさやまにちじょう

[生]?
[没]天正5(1577).9.
戦国時代の法華宗の僧。出雲朝山の人といわれる。俗名は善茂。西籍にはニキジョショニンとして知られる。永禄6 (1563) 年足利義輝の使僧として大友,毛利両氏の争いを調停。同 11年足利義昭を奉じた織田信長の入京後,登用されて村井貞勝とともに皇居造営の大工奉行役をつとめ,政務に参与した。同 12年キリスト教排斥のため,信長の前で行なったイエズス会士ルイス・フロイスとの宗論に敗れた。のち和田惟攷を陥れようとして失敗し,信長の信任を失った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝山日乗」の解説

朝山日乗 あさやま-にちじょう

?-1577 戦国-織豊時代の僧。
弘治(こうじ)元年(1555)京都の天台宗三千院で出家,後奈良天皇から日乗上人の号をあたえられる。織田信長に重用され,内裏(だいり)修造などにあたった。永禄(えいろく)12年イエズス会のフロイスおよびロレンソとの宗論に敗れた。天正(てんしょう)5年9月15日死去。出雲(いずも)(島根県)出身。俗名は善茂。朝山を姓でなく法名「ちょうざん」とみる説もある。

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改訂新版 世界大百科事典 「朝山日乗」の意味・わかりやすい解説

朝山日乗 (あさやまにちじょう)

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世界大百科事典(旧版)内の朝山日乗の言及

【日乗朝山】より

…戦国末織田政権期の政僧。朝山日乗とするのは俗説。弘治年間(1555‐58)朝家復興に尽力して後奈良天皇より上人号を授かった。…

【日乗朝山】より

…戦国末織田政権期の政僧。朝山日乗とするのは俗説。弘治年間(1555‐58)朝家復興に尽力して後奈良天皇より上人号を授かった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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