日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
木内石亭(きうちせきてい)
きうちせきてい
(1724―1808)
江戸中期の奇石愛好家、鉱物学者。名は重暁(しげあき)、通称小繁(こはん)、幼名幾六、石亭はその号。近江(おうみ)国志賀郡坂本村(大津市)の拾井(ひろい)家に生まれ、琵琶(びわ)湖対岸の栗太(くりた)郡山田郷(草津市)の木内(きのうち)(通称きうち)家の養子となる。幼時から石に親しみ、1751年(宝暦1)に本草(ほんぞう)家(博物学者)津島如蘭(じょらん)(1701―1755)が主催した物産会を見学して如蘭に師事し、学問的に石を学ぶようになった。全国を旅行して2000種以上の奇石を採集し、同好の士を集めて奇石会を主宰した。晩年は著述によって弄石(ろうせき)趣味を広めた。主著『雲根志(うんこんし)』は、雲が岩石の間から出るという故事を書名とし、1772年(安永1)から1801年(享和1)までに3編16巻が刊行されている。採集、または見聞した奇石を分類記述した図誌で、伝説のある石、観賞価値のある石のほかに、本草学的にみた石(岩石、鉱物)、石亭が特設した変化(へんげ)類(おもに化石)、鐫刻(せんこく)類(おもに石器)を載せている。それぞれ地質鉱物学、古生物学、考古学の先駆的な業績である。滋賀県守山市今宿の本像寺に墓がある。
[石山 洋]
『今井功訳註『雲根志』(1969・築地書館)』▽『斎藤忠著『木内石亭』(1962/新装版・1989・吉川弘文館)』