本居宣長旧宅(読み)もとおりのりながきゆうたく

日本歴史地名大系 「本居宣長旧宅」の解説

本居宣長旧宅
もとおりのりながきゆうたく

[現在地名]松阪市殿町

もとうお町にあり、明治四二年(一九〇九)一〇月以降は鈴屋遺跡保存会によって松坂城跡隠居丸に移転され、現在に至っている。国指定特別史跡。宣長の生家小津家は木綿を扱って松坂屈指の商家であったが、宣長の父小津定利の代で没落、定利が没すると、宣長は彼の兄弟とともに定利の妻勝に従って、祖父定治の隠居所、後の鈴屋に移り住んだ。この隠居所は本来元禄四年(一六九一)に職人町清光せいこう寺門前に建築された定治の養母福の隠居宅であったが、その死後定治自身が住み、次いで享保一一年(一七二六)魚町に移転され、やがて宣長、その息春庭らの起居する所となったものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「本居宣長旧宅」の解説

もとおりのりながきゅうたく【本居宣長旧宅】


三重県松阪市殿町にある邸宅。指定名称は「本居宣長旧宅 同宅跡(どうたくあと)」。市街地の松阪魚町に位置し、国学の大成者として『古事記伝』などの著述で名高い本居宣長(1730~1801年)が幼時からその終焉まで居住した家。建物自体は1691年(元禄4)に宣長の祖父によって建てられ、奥行きのある敷地に建つ町屋造りの旧宅は、「店の間」と呼ばれる医療をした部屋、仏間、奥座敷、2階の書斎など8室で構成される。宣長が家業の町医者を営みながら研究や後学の指導に当たったところで、2階物置を改造した書斎は鈴屋(すずのや)の呼称で親しまれている。建物は1909年(明治42)に火災の心配から松坂城跡の現在地に移築され、その際、若干の修復を行って庭園や家の向きを旧状に戻している。宅跡は敷地から井戸樹木まで往時のまま残され、旧宅とともに旧時を偲ぶことができる。もっとも著名な学者の旧宅として学術上その価値がきわめて高いことから、1922年(大正11)に国の史跡に指定され、1953年(昭和28)には移築前の跡地とともに特別史跡に、未指定だった宣長の子、春庭(はるにわ)の旧宅などが1967年(昭和42)に追加指定された。現在は、本居宣長記念館によって管理されている。JR紀勢本線ほか松阪駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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