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鈴木朖 すずき あきら

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美術人名辞典の解説

鈴木朖

江戸後期の国学者。尾張生。姓は山田、字は叔清、通称は常介、離屋と号する。本居宣長に学んで一家を成した。天保8年(1837)歿、74才。

出典|(株)思文閣
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デジタル大辞泉の解説

すずき‐あきら【鈴木朖】

[1764~1837]江戸後期の国学者。尾張の人。号、離屋(はなれや)。本居宣長(もとおりのりなが)の門下。品詞・活用・語源などの研究に努めた。著「言語(げんぎょ)四種論」「活語断続譜」「雅語音声考(がごおんじょうこう)」など。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鈴木朖 すずき-あきら

1764-1837 江戸時代後期の国学者,儒者。
宝暦14年3月3日生まれ。本居宣長(もとおり-のりなが)にまなぶ。文政4年尾張(おわり)名古屋藩の藩儒。晩年に藩校明倫堂の教授並となり,国学を講じ,言語学にすぐれた。天保(てんぽう)8年6月6日死去。74歳。本姓は山田。字(あざな)は叔清。通称は常介。号は離屋(はなれや)。著作に「活語断続譜」「雅語音声考(おんじょうこう)」「言語(げんぎょ)四種論」など。
【格言など】菓子より砂糖,砂糖より鰹節,鰹節より金(講義の謝礼の例として,玄関にかかげたことば)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

鈴木朖

没年:天保8.6.6(1837.7.8)
生年:明和1.3.3(1764.4.3)
江戸後期の国学者。尾張藩士。尾張国(愛知県)春日井郡の医師山田重蔵とソノの3男として生まれた。幼名恒吉,通称常介,字叔清。住んでいた部屋が母屋から離れていたところから号は離屋。朖は名。12歳にして徂徠学派市川鶴鳴に入門,15歳のときに『張域人物志』の「文苑」に載るほど叡才を知られていた。天明1(1781)年,18歳で町儒者の祖父鈴木林右衛門の家名を相続した。20歳のころから国学に関心を示し,天明5年,本居宣長の『紐鏡』を筆写し,その末に『詞の玉緒』の抄を作った。寛政4(1792)年には鈴屋入門,同年刊の宣長著『馭戎慨言』の序文を書いた。藩士としては7年に御近習組同心として初出仕,御記録所書役を経て,晩年の天保4(1833)年には藩校明倫堂の教授となり,国学を講じた。著作には漢学関係もあるが,著しい成果を挙げたのは国語学の分野である。『言語四種論』は言語を「体ノ詞」「形状ノ詞」「作用ノ詞」「テニヲハ」の4種に分類することを説いたもの。『活語断続譜』は用言の活用形を研究し,いわゆる活用図を作った点で画期的であった。また『雅語音声考』は言語の発生について論じたものであり,国語学史上注目されている。朖は逸話に富む人で,剽軽な行動で知られる。講書の謝礼について「菓子より砂糖,砂糖より鰹節,鰹節より金」と玄関に書していたという。養生をおかしく詠んだ「味噌で飲む一ぱい酒に毒はなし煤けたかかに酌をとらせて」という狂歌がある。<参考文献>鈴木朖顕彰会『鈴木朖』

(飯倉洋一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

すずきあきら【鈴木朖】

1764‐1837(明和1‐天保8)
江戸後期の漢学者,国語学者。通称は常介,字は叔清,号は離屋。名古屋西枇杷(びわ)島に生まれ,学問で尾州侯に仕え,晩年には藩校明倫堂の教授をつとめた。多くの著書のうち,次の3種は国語学史上に大きな意味をもつ。《活語断続譜》は1803年(享和3)以前に成り,本居宣長の説に富士谷成章考え方を調和して,活用を1等から8等の段(のちに7段)に整理し,助辞への接続を明らかにした。《雅語音声(おんじよう)考》は16年(文化13)の刊行で,単語に擬声・擬態起源のものの多いことを4種に分けて説いた。

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大辞林 第三版の解説

すずきあきら【鈴木朖】

1764~1837) 国学者・儒者。名古屋の生まれ。号は離屋はなれや。本居宣長に学び、特に、言語の体系的分類、活用研究にすぐれた著作を残した。著「言語げんぎよ四種論」「活語断続譜」「雅語音声考」「論語参解」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鈴木朖
すずきあきら

[生]宝暦14(1764).3.3? 尾張
[没]天保8(1837).6.6?
江戸時代後期の国学者,漢学者。幼名は恒吉,通称は常介,字は叔清,号は離屋。父は医師山田重蔵,母ソノ。初め市川匡門に入門,古文辞学派の儒者となったが,のち本居宣長に傾倒,寛政4 (1792) 年に入門,その没後春庭門に入った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鈴木朖
すずきあきら
(1764―1837)

江戸後期の国学者、儒学者。名は朖・朗ともに用いる。字(あざな)は叔清、通称は常介(助)、号は離屋。宝暦(ほうれき)14年3月3日尾張(おわり)国西枇杷島(にしびわじま)(愛知県清須(きよす)市)に生まれ、のち祖父鈴木氏を相続する。12歳で徂徠(そらい)学の市川鶴鳴(いちかわかくめい)の門に入る。20歳ごろから国学にも関心をもち、1792年(寛政4)29歳のとき本居宣長(もとおりのりなが)の門に入る。晩年、尾張藩校明倫堂教授並となり、天保(てんぽう)8年6月6日、74歳で没。国学上の著書に、日本語を「体ノ詞(ことば)・形状(ありかた)ノ詞・作用(しわざ)ノ詞・テニヲハ」の4種に分類して説いた『言語四種(げんぎょししゅ)論』、切れ続きによる活用語の活用の仕方を整理した『活語断続譜』(1803ころ成立)、音声で物事を象(かたど)り写した言語について説いた『雅語音声(おんじょう)考』(1816)などがあり、漢学上の著書に『大学参解』(1803成立)『論語参解』『希雅』(1816)などのほか、学問について述べた『離屋学訓』(1828)などがある。とくに『活語断続譜』は写本で伝わったが、結果的に富士谷成章(ふじたになりあきら)、本居宣長の活用語研究の成果を統一し、本居春庭(はるにわ)の『詞(ことば)の八衢(やちまた)』の成立に影響を与えた。[古田東朔]
『時枝誠記「鈴木朖の国語学史上に於ける位置」(『国語と国文学』1927.1所収・至文堂) ▽岡田稔・市橋鐸著『鈴木朖』(1967・鈴木朖顕彰会) ▽鈴木朖学会編・刊『文莫』各年刊(1976~2007)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の鈴木朖の言及

【尾張国】より

… 藩祖義直は家康から多数の書籍を譲られ,自身も《類聚日本紀》174巻を編纂し好学の藩風をつくり,尾張独自の考証学風を生み出した。河村秀根の《書紀集解》30巻や岡田新川らによる《群書治要》の校刊と《孝経鄭氏解》の刊行,鈴木朖(あきら)の《言語四種論》,さらに本居宣長の《古事記伝》の名古屋出版等によって学問的風潮は庶民の間にも広まった。城下で松尾芭蕉を中心に門人らによって正風開眼がなされ,俳諧の結社は農村にまで及んだ。…

【国語学】より

…しかしながら,この書がきっかけとなって,研究の関心の中心は,〈てにをは〉から,活用に移っていった。まず,鈴木朖(あきら)が出て,《活語断続譜》を著した。彼は,宣長が27に分けた活用のすべてに対し,活用形の用法による相互の対応を明らかにした。…

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