江戸後期の国学者、儒学者。名は朖・朗ともに用いる。字(あざな)は叔清、通称は常介(助)、号は離屋。宝暦(ほうれき)14年3月3日尾張(おわり)国西枇杷島(にしびわじま)(愛知県清須(きよす)市)に生まれ、のち祖父鈴木氏を相続する。12歳で徂徠(そらい)学の市川鶴鳴(いちかわかくめい)の門に入る。20歳ごろから国学にも関心をもち、1792年(寛政4)29歳のとき本居宣長(もとおりのりなが)の門に入る。晩年、尾張藩校明倫堂教授並となり、天保(てんぽう)8年6月6日、74歳で没。国学上の著書に、日本語を「体ノ詞(ことば)・形状(ありかた)ノ詞・作用(しわざ)ノ詞・テニヲハ」の4種に分類して説いた『言語四種(げんぎょししゅ)論』、切れ続きによる活用語の活用の仕方を整理した『活語断続譜』(1803ころ成立)、音声で物事を象(かたど)り写した言語について説いた『雅語音声(おんじょう)考』(1816)などがあり、漢学上の著書に『大学参解』(1803成立)『論語参解』『希雅』(1816)などのほか、学問について述べた『離屋学訓』(1828)などがある。とくに『活語断続譜』は写本で伝わったが、結果的に富士谷成章(ふじたになりあきら)、本居宣長の活用語研究の成果を統一し、本居春庭(はるにわ)の『詞(ことば)の八衢(やちまた)』の成立に影響を与えた。
[古田東朔 2018年10月19日]
『時枝誠記「鈴木朖の国語学史上に於ける位置」(『国語と国文学』1927.1所収・至文堂)』▽『岡田稔・市橋鐸著『鈴木朖』(1967・鈴木朖顕彰会)』▽『鈴木朖学会編・刊『文莫』各年刊(1976~2007)』
(飯倉洋一)
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江戸後期の漢学者,国語学者。通称は常介,字は叔清,号は離屋。名古屋西枇杷(びわ)島に生まれ,学問で尾州侯に仕え,晩年には藩校明倫堂の教授をつとめた。多くの著書のうち,次の3種は国語学史上に大きな意味をもつ。《活語断続譜》は1803年(享和3)以前に成り,本居宣長の説に富士谷成章の考え方を調和して,活用を1等から8等の段(のちに7段)に整理し,助辞への接続を明らかにした。《雅語音声(おんじよう)考》は16年(文化13)の刊行で,単語に擬声・擬態起源のものの多いことを4種に分けて説いた。《言語(げんぎよ)四種論》は24年(文政7)の刊行で,品詞分類,ことに〈てにをは〉の働きについての考え方が注目される。
執筆者:林 大
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… 藩祖義直は家康から多数の書籍を譲られ,自身も《類聚日本紀》174巻を編纂し好学の藩風をつくり,尾張独自の考証学風を生み出した。河村秀根の《書紀集解》30巻や岡田新川らによる《群書治要》の校刊と《孝経鄭氏解》の刊行,鈴木朖(あきら)の《言語四種論》,さらに本居宣長の《古事記伝》の名古屋出版等によって学問的風潮は庶民の間にも広まった。城下で松尾芭蕉を中心に門人らによって正風開眼がなされ,俳諧の結社は農村にまで及んだ。…
…しかしながら,この書がきっかけとなって,研究の関心の中心は,〈てにをは〉から,活用に移っていった。まず,鈴木朖(あきら)が出て,《活語断続譜》を著した。彼は,宣長が27に分けた活用のすべてに対し,活用形の用法による相互の対応を明らかにした。…
※「鈴木朖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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