神代から1611年(慶長16)に至る間の漢文による編年体の史書。林羅山・林鵞峰著。310巻。前編(神代)3巻,正編(神武~宇多)40巻,続編(醍醐~後陽成)230巻,提要30巻,付録(神祇,皇運,朝職(上下),武職)5巻,目録1巻,引用書目1巻。1670年(寛文10)完成。本書ははじめ羅山が徳川家光の命で1644年(正保1)から通史の編修に当たり,50年(慶安3)に神武朝から宇多朝までを完成して《本朝編年録》の書名で幕府に提出したが,明暦の大火で焼失した。62年修史継続の命が徳川家綱から羅山の子鵞峰に下り,64年から忍岡林邸内の国史館で作業が開始され,《本朝編年録》の稿本を復元校勘して正編とし,続編を林梅洞,林鳳岡,人見友元,坂井伯元らが分担起草し,鵞峰が統轄して完成し幕府に献上した。中国の《資治通鑑(しじつがん)》を模範にし,《通鑑綱目》を参考とし,事実を直叙して後代の鑑戒とすることを目ざした。幕府の援助もあって豊富な史料に基づき,史実の考証,異説の併載や俗伝,異聞の紹介もある。一般的に儒教的合理主義の立場で述べられ,いわゆる林家史学の代表とされ,これに異論をもつ水戸藩の《大日本史》などの編修を呼び起こした。
執筆者:山本 武夫
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江戸前期の幕府編修の歴史書。神代から後陽成(ごようぜい)天皇に至るまでの日本の通史。中国の『資治通鑑(しじつがん)』の名称と記述法に倣ったもの。正編(初名は『本朝編年録』)は林羅山(らざん)が3代将軍徳川家光(いえみつ)の命により編修、神武(じんむ)天皇から宇多(うだ)天皇までで40巻。続編は林鵞峰(がほう)が4代家綱(いえつな)の命により1670年(寛文10)に完成、醍醐(だいご)天皇から後陽成天皇に至るまでで230巻。ほかに首2巻、前編3巻、提要30巻、付録5巻、総計310巻。編修用の建物が「国史館」で、日記が『国史館日録』。天皇一代ごとの編年体で、事実をありのままに記述し勧善懲悪の効果を期待している。記事の出典を記さない点で『大日本史』に劣るが、今日失われている多数の文書記録を含んでいる貴重な史書。本書にわが皇室の始祖を呉(ご)の太伯とした記述があったとする説(安藤為章(ためあきら)『年山紀聞(ねんざんきぶん)』)は誤伝。国書刊行会本18冊(1918~20)。
[宮崎道生]
『花見朔巳著『本朝通鑑考』(『本邦史学史論叢 下巻』所収・1939・冨山房)』▽『坂本太郎著『日本の修史と史学』(1958・至文堂)』▽『小沢栄一著『近世史学思想史研究』(1974・吉川弘文館)』
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林鵞峰(がほう)が幕府の命で編纂した編年体の日本史の通史。1670年(寛文10)成立。前編神代紀3巻・正編40巻(神武紀~宇多紀)・続編230巻(醍醐紀~後陽成紀)・提要30巻・付録5巻・凡例ならびに引用書目2巻からなる。鵞峰が編纂所である忍岡の国史館に門人を集め,父羅山(らざん)の「本朝編年録」の草稿に修正を加えつつ書き継いだもので,編年の書法を朱子「通鑑綱目」に,叙事の体を司馬光「資治通鑑」にならう。実証主義的な歴史叙述をめざした林家の史学の特徴を示すが,史料の博捜や史料批判に不備がある。「大日本史」「読史余論」などの歴史書に大きな影響を与えた。国書刊行会刊。
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