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本薬師寺 もとやくしじ

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大辞林 第三版の解説

もとやくしじ【本薬師寺】

680年天武天皇が皇后の病気平癒を祈って建立した飛鳥時代の寺。平城遷都に伴い西の京薬師寺の地に移され、橿原市本殿町の旧址には基壇や礎石が遺存する。

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百科事典マイペディアの解説

本薬師寺【もとやくしじ】

奈良県橿原市にある薬師寺の跡(特別史跡)。680年持統天皇の病気平癒を祈って藤原宮の近くに創建されたもので,平城遷都とともに薬師寺西ノ京現在地に移されてから本薬師寺と呼ばれた。
→関連項目橿原[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

もとやくしじ【本薬師寺】

680年(天武9)11月に皇后,後の持統天皇の病気平癒を祈って勅願によって営まれた官寺,薬師寺。現在,奈良県橿原市城殿町に金堂と塔の遺構が残っている。発願後直ちに造営工事が開始されたのかどうか明らかでないが,《七大寺年表》や《僧綱補任抄出》などには,天武天皇11年(682)に着工されたことをうかがわせる記事がみられる。持統天皇2年(688)正月の無遮大会が薬師寺で設けられたと《日本書紀》にみえるので,この頃に伽藍はある程度整ったものと思われる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

本薬師寺
もとやくしじ

平城京の薬師寺の前身。飛鳥(あすか)時代、藤原宮大極殿(だいごくでん)跡の南西(奈良県橿原(かしはら)市城殿(きどの)町)にあった。飛鳥四大寺の一つ。薬師寺は680年(天武天皇9)天武(てんむ)天皇が皇后(後の持統(じとう)天皇)の病気平癒を祈願して建立を始め、天武天皇没後、持統・文武(もんむ)天皇の代まで工事が継続され、698年(文武天皇2)竣工(しゅんこう)された。平城遷都とともに718年(養老2)平城京の右京六条二坊(奈良市西ノ京町)に移されたため、飛鳥の寺を本薬師寺と称する。寺跡(特別史跡)の金堂と東・西両塔の土壇、礎石などによれば、西ノ京の現薬師寺と同型の伽藍(がらん)配置で、寺域は藤原京の右京八条三坊の二町四方を占め、左京の大官大寺と左右対峙(たいじ)する位置にあったことからもその重要性がうかがわれる。[里道徳雄]

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世界大百科事典内の本薬師寺の言及

【寺院建築】より

…これら初期の仏殿は平面は比較的小さく,外観は二重屋根とし,内部は閉鎖的で,塼仏,壁画,仏具で荘厳された〈仏の聖域〉で人の立入りを許さなかった。7世紀末に藤原京で造営された本薬師寺は回廊内に両塔をもつ最初の伽藍で,金堂は正面幅が大きく,重層のそれぞれに裳階(層)(もこし)を付し,母屋は閉鎖的な聖域であった。三重塔も各重に裳階のある華麗で異国的な姿とされた。…

【心礎】より

…奈良県飛鳥寺,川原寺など飛鳥時代から白鳳時代の古い段階では,中心柱は掘立柱形式で,心礎は地中深く埋められている。7世紀後半の本薬師寺の心礎は,東西両塔とも地上に露出しており,この頃から以降は,地上の心礎が一般的となっていったようである。朝鮮でも,百済の古い段階に創建された扶余の軍守里廃寺や金剛寺では地下式心礎であるが,創建の下る弥勒寺は地上式心礎である。…

【奈良時代美術】より

…飛鳥様式をよく残しているとされるが,伽藍配置,軒の平行角垂木や一部の構造,軒瓦の文様などは白鳳形式である。天武天皇の発願による薬師寺(本薬師寺)は藤原京の条坊にあわせて伽藍が計画され,回廊内に各層に裳階(もこし)をもつ華やかな金堂と東西両塔を置いた。配置は唐にならったとみられるが,唐での実例は知られず,当時親善関係にあった新羅に先例がある。…

【薬師寺】より

…680年(天武9)天武天皇が皇后の病全快を祈って建立を発願し,持統天皇を経て698年(文武2)藤原京に創建を終わったが,710年(和銅3)の平城遷都にともない,718年(養老2)に平城右京六条二坊に移建された。これが現在の薬師寺であり,旧地(現,奈良県橿原市)を本(もと)薬師寺という。移転後の伽藍地は東西3町,南北4町にわたり,金堂,東西両塔,講堂をはじめ,三面僧坊,経楼,食堂(じきどう)や大炊院,温室院,苑院があり,いわゆる薬師寺式伽藍配置の典型を示していた。…

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