李泰俊(読み)りたいしゅん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「李泰俊」の意味・わかりやすい解説

李泰俊
りたいしゅん / イテジュン
(1904―没年不詳)

朝鮮の小説家。江原道の生まれ。1920年代後半から創作生活に入り、プロレタリア文学運動の全盛期には鄭芝溶(ていしよう/チョンチヨン)、李孝石(りこうせき/イヒョソク)らと「九人会」を組織、純粋文学を旗印にカップ(朝鮮プロレタリア芸術同盟)と対峙(たいじ)したが、解放後は民主的民族文学樹立を目ざした左翼文壇の指導者の一人となる。解放後北朝鮮へ移り、朝鮮作家同盟委員長などの要職についたが、53年林和(りんわ/イムファ)事件に巻き込まれ粛清された。『鴉(からす)』(1935)、『福徳房』(1937)など優れた短編集のほか、日本の植民地下で朝鮮語および朝鮮文学を守る運動で画期的な役割を果たした雑誌『文章』の主宰者でもあった。

[尹 學 準]

『大村益夫他訳『朝鮮短篇小説選』上下(岩波文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「李泰俊」の意味・わかりやすい解説

李泰俊 (りたいしゅん)
(R)I Ta`e-jun
生没年:1904-?

朝鮮の作家。江原道鉄原出身。号は尚虚。1925年処女作《五夢女》発表後東京に渡る。上智大学中退。《不遇先生》《アダムの後裔》《愚菴老人》《福徳房》《寧越令監》など,主に没落した人間像を美文によりスケッチ風に描く短編小説を得意とし,プロレタリア文学退潮後の文壇で注目された。その文学的基調は尚古趣味,センチメンタリズムと評される。1939年に《文章》誌の編集に携わり,解放後は民族文学再建を求めて朝鮮文学家同盟結成に参加,副委員長となるが,文学的には抑制を失うとともに形骸化する。北朝鮮へ渡り,朝鮮作家同盟副委員長となる。その後1956年文学界から追放され消息不明。
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百科事典マイペディア 「李泰俊」の意味・わかりやすい解説

李泰俊【りたいしゅん】

朝鮮の小説家。号は尚虚。1930年前後,プロレタリア文学の退潮期に完成度の高い短編を発表し短編小説の美学を確立した作家として評価される。解放後は政治運動に身を投じ,ソ連紀行の後に北にとどまり,1950年代に批判されて後の消息は不明。短編《福徳房》《月夜》《からす》《夜道》《無縁》,長編《第二の運命》《聖母》《思想の月夜》など多数。
→関連項目九人会

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世界大百科事典(旧版)内の李泰俊の言及

【文章】より

…1939年2月創刊。編集兼発行人は金錬万だが,実質的には作家の李泰俊が編集を担当した。27号という短い生命だったが,植民地下では《人文評論》(1939‐41)とともに最後の朝鮮語文学雑誌として朝鮮の近代文学史上画期的な役割を果たした。…

※「李泰俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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