李陸史(読み)りりくし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「李陸史」の意味・わかりやすい解説

李陸史
りりくし / イユクサ
(1904―1944)

朝鮮詩人、独立運動家。慶尚北道の生まれ。1923年(大正12)日本留学。1932年から2年間、朝鮮革命幹部学校である南京(ナンキン)郊外の国民政府軍事委員会幹部訓練班第六隊で訓練を受けたのち帰国。民族主義系の地下独立運動組織である義烈団のメンバーとして北京(ペキン)との間を何度も行き来して投獄は17回に及び、解放直前北京で獄死した。彼の詩は民族の受難の時期に、解放を希求してあくまでも屈しない民族の強い抵抗の意志格調高く歌っている。代表作に『曠野(こうや)』『絶頂』がある。また彼は『魯迅(ろじん)論』をはじめ、現代中国の文学、政治を積極的に論じた、朝鮮では数少ない文学者でもあった。没後『陸史詩集』(1946)が編まれ、その後論文、エッセイなども集めて『李陸史全集』(1975)が韓国(大韓民国)で出版されている。

[大村益夫]

『伊吹郷訳『青ぶどう――イユクサ詩文集』(1990・筑摩書房)』『安宇植訳『李陸史詩集』(1999・講談社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「李陸史」の意味・わかりやすい解説

李陸史 (りりくし)
(R)I(R)Yuk-sa
生没年:1904-44

朝鮮の詩人,独立運動家。本名は李源禄,のち活と改名。慶尚北道安東生れ。1932年中国南京郊外にあった義烈団系の朝鮮革命幹部学校第1期生として入校,33年卒業,帰国した。33年から詩を書きはじめ植民地下の民族の悲哀をうたった。《青葡萄》《黄昏》など抒情的で牧歌的な詩を書く一方で,《絶頂》《曠野》《花》など抵抗の意志を盛りこんだ詩を残した。中国文学,特に魯迅の作品に強い関心を持ち,《魯迅追悼文》を書き,《故郷》を記し,胡適の《中国文学五十年史》を紹介(抄訳)した。文学活動と同時に独立運動に積極的に参加,44年1月北京監獄で生涯を閉じた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李陸史」の意味・わかりやすい解説

李陸史
りりくし
Yi Yuksa

[生]光武8(1904).4.4. 慶尚北道,安東,陶山面遠村里
[没]1944.1.16. 北京
朝鮮の詩人,独立運動家。本名,源禄,のち源三,活などと改名。陸史は号。李退渓の後裔。北京大学社会科に学んだ。雑誌社,新聞社,社会運動に関係したほか独立運動に参与し,前後 17回も投獄された。 1937年,申石艸,尹崑崗,金光均らと詩同人誌『子午線』を発刊。 44年独立運動の理由で日本警察に逮補され中国北京監獄で獄死。号の陸史は囚人番号 64に由来する。解放後,46年文友によって遺稿集『陸史詩集』が刊行された。第2次世界大戦末期の日本の極端な弾圧下の暗黒のなかで,民族解放と独立への信念と意志をうたい,未来の時代を予言する先駆者的信念を所有した格調高い抵抗詩人であった。作品には北方大陸的広大なスケール,士人気質,品の高い大家的風格がみえ,安定した形式のなかに伝統的民族情緒が流れている。代表作『青葡萄』 (1939) ,『絶頂』 (40) ,『喬木』『曠野』『花』など。

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百科事典マイペディア 「李陸史」の意味・わかりやすい解説

李陸史【りりくし】

朝鮮の詩人,独立運動家。本名は源三,源禄。朱子学者李退渓〔1501-1570〕の子孫。早くから兄弟とともに独立運動の団体と接触,中国との間を行き来し,たびたび投獄される。1943年逮捕され北京に護送され死亡。詩は多くないが《青葡萄》《絶頂》《喬木》《曠野》など彼の詩は格調が高く,解放後《李陸史詩集》(1946年)として刊行された。

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