室町・戦国時代の瀬戸内水軍(海賊衆)。南北朝時代より芸予諸島に拠って瀬戸内海の制海権を握り,海賊的行為のほか日常は豊富な海上輸送の通行料をとる警固衆として活動した。一族は伊予の能島(のしま),来島(くるしま),備後の因島を拠点とする3家に分かれて三島村上氏と呼ばれ,伊予の河野氏に属したが,自立的性格が強かった。戦国時代には来島通康が河野通直の女婿として河野家中に重きをなしたほか,能島武吉,因島吉充が活躍した。厳島の戦以降,小早川隆景を介して毛利氏に属し,石山合戦では1576年(天正4)織田水軍を木津河口に破って本願寺に兵糧を入れた。三島村上氏のうち来島通総は82年毛利氏に背いて羽柴(豊臣)秀吉の勧誘に応じ,その功により来島1万4000石を安堵された。88年秀吉の海賊禁止令により海上支配権に終止符が打たれ,文禄・慶長の役には水軍として動員された。関ヶ原の戦以後,来島(久留島)氏は豊後の森に転封され,能島・因島両村上氏は長州藩に船手組として仕えた。
執筆者:加藤 益幹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
中世後期に三島村上氏とよばれて,瀬戸内海の因島(いんのしま)・能島(のしま)・来島(くるしま)を拠点に活躍した海上の武装集団。海賊行為をする一方で,近隣荘園の所務や海上警固を担って勢力を伸ばした。河野氏の支配下で山名氏・大内氏ともつながり,対外貿易も行った。毛利氏配下の水軍として,石山本願寺への兵粮(ひょうろう)輸送を行うなど力を発揮するが,来島村上氏が豊臣秀吉の勢力下に入るに及んで,三島の村上氏は分裂。秀吉が1588年(天正16)に海賊禁止令を出すと,その組織は解体した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…東予地方には,細川氏の被官から成長した石川氏が新居郡の高峠(たかとうげ)城(西条市)を拠点にして勢力をはり,南予地方では,鎌倉期の守護の末裔と伝えられる宇都宮氏が地蔵岳(じぞうがだけ)城(大洲市)に,またかつての宇和荘の荘園領主の流れをくむと伝えられる西園寺氏が黒瀬城(東宇和郡宇和町)を拠点にしてそれぞれ勢力を有した。また芸予諸島を中心とする瀬戸内海域では,村上水軍を中心とする海賊衆の活躍が見られた。村上氏は南北朝期から姿を見せはじめるが,その活躍の最もめざましいのは戦国期である。…
…かつて主産物であった除虫菊は,今は栽培農家がない。荘園時代は塩の特産地として重視され,室町~戦国時代は村上水軍の根拠地となっていたので,その城跡をはじめ金蓮(こんれん)寺や法楽踊,水軍太鼓など村上氏ゆかりの文化財が多い。海運業は江戸時代を通じて盛んだったが,明治に入ると衰微した。…
…同じく熊野海賊出身の堀内氏善(紀伊新宮)や杉若氏宗(紀伊田辺)も大名化している。村上水軍(海賊)を構成する能島氏,来島(くるしま)氏,因島氏らは古くから瀬戸内海の交通を支配していたが,同じく瀬戸内の海賊衆である乃美氏,小泉氏,生口氏らは小早川氏の一族であったことから,村上海賊と毛利,小早川氏との間に盟約関係が結ばれるようになる。北九州の海賊衆である松浦党(まつらとう)の場合も,中世末期には平戸松浦氏,宇久五島氏らによって統合がすすめられるなかで天下統一を迎えた。…
※「村上水軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新