コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

東山桜荘子 ヒガシヤマサクラソウシ

3件 の用語解説(東山桜荘子の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ひがしやまさくらそうし〔ひがしやまさくらサウシ〕【東山桜荘子】

歌舞伎狂言。時代世話物。7幕。3世瀬川如皐(せがわじょこう)作。嘉永4年(1851)江戸中村座初演。義民佐倉宗吾佐倉惣五郎)の話に「偐紫田舎源氏」の一部を取り入れて脚色したもの。通称「佐倉義民伝」「佐倉宗吾」。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ひがしやまさくらそうし【東山桜荘子】

歌舞伎狂言。時代世話物。7幕。別名題《東山殿花王彩幕(ひがしやまどのさくらのいろまく)》《返咲桜草子(かえりざきさくらそうし)》。通称《佐倉義民伝》《佐倉宗吾》。3世瀬川如皐作。1851年(嘉永4)8月江戸中村座初演。おもな配役は,浅倉当吾・下部須磨平・舞指南東雲(しののめ)を4世市川小団次白拍子桂子・足利光氏を3世岩井粂三郎(のちの8世半四郎),細川勝元を3世沢村源之助,浅倉当左衛門・植村隼人・高岡主計を11世森田勘弥(4世坂東三津五郎),藤の方・当吾女房を2世尾上菊次郎足利義政・織部政知・幻長吉・仁木喜代之助・渡し守甚兵衛を4世坂東彦三郎

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東山桜荘子
ひがしやまさくらそうし

3世瀬川如皐(じょこう)作の最初の佐倉義民伝劇。7幕28場。1851年(嘉永4)江戸・中村座初演。歌舞伎(かぶき)史上最初の農民一揆(いっき)劇である。『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』と絡ませたのは東山時代のことにするためであったが、農民の相手を将軍の分家織越政知(おりこしまさとも)としたことは幕府をも批判の的に含ませることになっている。主人公佐倉宗吾(そうご)の名は浅倉当吾(あさくらとうご)となっている。1861年(文久1)の再演のとき、これら8場が削除されたのは、そのためであろう。残り20場で、一揆の原因となった領主側の暴政が具体的に示され、これに対する農民代表の国元での訴願、代官所の大衆的襲撃、首都への代表出訴、藩内部の善政派と収奪派との対立、代表出訴の拒否と投獄、将軍への直訴(じきそ)という闘争の諸段階が継起的に描かれ、収奪派の家老・代官らの破廉恥(はれんち)罪による宗吾(当吾)夫妻や3人の子供の拷問(ごうもん)、惨殺によって宗吾亡霊が藩主に祟(たた)るまでが語られる。「どこの国にうぬが内へ窓を明(あけ)るにも運上(うんじょう)、升(ます)を買っても運上のと、五ヶ年跡の日照の時に八千石の皆無(かいむ)、其(その)年貢迄(まで)とろうと言出し、それじゃ小前(こまえ)のものはなんで喰(くわ)れう、これァ大かた下(し)もの百姓をほしころそうというのであんべいかい、なさけねへ御地頭(おじとう)さまだ」「此儘(このまま)捨て置く時はお百姓様の威光が薄くなるというもの」と百姓の台詞(せりふ)、「手前などは御納戸(おなんど)兼帯御勝手を相勤(あいつとめ)、治世に乱を忘れずと御貯(おたくわえ)の軍用金、あるが上にもふやすが忠義(ちゅうぎ)、百姓ばらに金を持(もた)せば栄耀(えよう)にふけり、農業の妨げ、金銀をたくはへさせぬがお上(か)ミへの忠義」という収奪派家老の発言、「三ヶ国はわが領内、金銀米銭はいうに及ばず、民百姓はもとよりむしけらに至る迄(まで)、此(この)政知が心の儘(まま)」という藩主の発言、「天下は一人の天下に非(あら)ず、天下の人の天下也(なり)……百姓は天下の宝、其領主の我意につのり、からき政事にうみつかれ、他国へ逃散(ちょうさん)なす時は国に耕す民なければ百万石も草原同然」という善政派家老の発言などは、幕末期の民衆の社会・政治意識の成長のほどをよく示している。刊本はなく、台帳が国立国会図書館、早稲田(わせだ)大学演劇博物館などに所蔵。[林 基]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の東山桜荘子の言及

【怪談】より

…上方では4世市川小団次・市川斎入(さいにゆう)(右団次)系の亡霊の芸が残された。著名な怪談物には《東海道四谷怪談》,《彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)》(小幡小平次),《実成金菊月(みのりよしこがねのきくづき)》(皿屋敷),《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》(佐倉宗吾)などがある。怪談物の眼目の一つにはケレン(トリック)の演出があり,観客の意表をつく仕掛物や早替りの技術が発達した。…

【義民物】より

…義民物の劇化上演が,嘉永年間(1848‐54)にいたって可能となったのは,幕府の統制がゆるみ権威が失墜した一つのあらわれであった。1851年(嘉永4)8月江戸中村座初演の《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》(3世瀬川如皐作)は,それまでに流布されていた実録本《地蔵堂通夜物語》や一立斎文車,石川一夢らの講釈で演じられていた正保年中(1644‐48)に起きた佐倉領の強訴事件に取材し,大当りをとった作。65年(慶応1)8月中村座の《上総棉小紋単地(かずさもめんこもんのひとえじ)》(市兵衛記)や85年(明治18)12月大阪中座《実事譚佐倉聞書(じつせつさくらのききがき)》,86年12月東京新富座の《文珠智恵義民功(もんじゆのちえぎみんのいさおし)》など一連の義民物の上演の背景には幕末・明治期に起きた百姓一揆や自由民権運動が反映している。…

【佐倉惣五郎】より

…その無実の罪の内容は不明確であるが,後の堀田氏がある程度信じたことは事実である。それが《地蔵堂通夜物語》などの小説によって肉付けされ,さらに1851年(嘉永4)には《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》という戯曲になって江戸中村座で上演され,堀田氏の苛斂誅求と惣五郎の直訴,処刑,祟が筋として定着した。幕末には農民一揆の鼓吹のために利用され,明治になると自由民権運動の先駆者とされるなど,社会史的意義はきわめて大きい。…

※「東山桜荘子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

東山桜荘子の関連キーワード生世話物桜姫東文章お静礼三歌舞伎狂言生世話小名題時代世話世話狂言いろは新助浮世柄比翼稲妻

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone