柳亭種彦(りゅうていたねひこ)作の合巻(ごうかん)。1829年(文政12)初編刊、1842年(天保13)38編刊(39、40編は未刊草稿のまま、未完)。歌川国貞(くにさだ)画。書名は、原典である紫式部の『源氏物語』に対し、翻案の意から「似せ紫式部」、通俗性を加えた意で「田舎源氏」としたものである。足利義正(あしかがよしまさ)(桐壺(きりつぼ)帝)の寵愛(ちょうあい)を受けて花桐(桐壺)は光氏(みつうじ)(光源氏)をもうけながらも、富徽前(とよしのまえ)(弘徽殿(こきでん))に対する心労のあまり病没する。義正の偏愛を避けて、光氏は義母藤方(藤壺)と不義をしたとみせ猟色を装い、ひそかに紛失した3種の宝の行方を尋ねる。そのうち将軍職をうかがう山名宗全の魂胆を知った光氏は、宗全が味方に引き込もうとする遊佐国助(ゆさくにすけ)の妾腹(しょうふく)の娘紫(紫上)を人質にとり、二葉上(葵上(あおいのうえ))の死後は正妻に迎える。桂樹(かつらぎ)(朧(おぼろ)月夜)に近づき浮名を流し、わざと須磨(すま)に流された光氏は、そこで宗全の弟宗入の娘朝霧(明石(あかし))を恋人に迎え、ふたたび都に戻り宗全の野望を砕く。のち宗全の娘朝顔(槿(あさがお))から宝刀小烏丸を取り戻し、すでに水原(みはら)(源典侍(げんのないし))と阿古木(あこぎ)(六条御息所(ろくじょうのみやすどころ))から取り返していた玉兎(ぎょくと)の鏡と勅筆の短冊をあわせ、ここに3種の宝をそろえた光氏は、将軍の後見役となり、夕霧丸(夕霧)と高直(たかなお)(頭中将(とうのちゅうじょう))の娘雁金(かりがね)(雲井雁(くもいのかり))との恋仲を裂いたことから高直と疎遠になるが、高直の隠し子玉葛(たまくず)(玉鬘(たまかずら))を養女とし氾廉(ひろかど)(髭黒大将(ひげくろのたいしょう))の妻とする。時代を室町時代に移し、御家(おいえ)騒動と重宝の詮議(せんぎ)という合巻の常套(じょうとう)的構想で筋の展開を図り、画工国貞の力を借りて全体に歌舞伎(かぶき)的趣向の汪溢(おういつ)する艶麗(えんれい)な挿絵を配したことが、当時の婦女子読者に熱狂的に迎えられるところであった。その絢爛(けんらん)華麗な世界の描出が大奥モデル説を生み、やがて絶版に処され、ために未完に終わっている。
[棚橋正博]
『『評釈江戸文学叢書8 洒落本・草双紙集』復刻版(1970・講談社)』▽『『日本名著全集20・21 偐紫田舎源氏 上下』(1928・同書刊行会)』
合巻。柳亭種彦著,歌川国貞画。1829-42年(文政12-天保13)刊。刊本全38編。39,40編は草稿だけが残る。略称《田舎源氏》。《源氏物語》の草双紙式翻案。〈偐紫〉は“似せ”あるいは“偽(にせ)”の,つまりまがいの紫式部の戯称。文政(1818-30)末当時の合巻界に曲亭馬琴が中国小説翻案を導入して長編作流行の端を開いたが,これに対抗して種彦は本邦古典の大作《源氏物語》を題材に本作を制作した。足利将軍の室町を背景に,将軍義正の妾腹の一子,才勇兼備で美貌の貴公子光氏(みつうじ)が,将軍職をねらう奸臣山名宗全を抑えるため,光源氏もどきの猟色遍歴にことよせて,宗全が盗み隠していた足利の家督相続に必須の重宝類を順次巧みに奪回し,須磨明石流寓の形で西国山名勢を牽制,彼の知謀で都の宗全一味が誅滅(ちゆうめつ)されたのち帰洛して将軍後見役となり,栄華の境遇に入るところで,天保改革のため筆禍を得て中断。作品の版木は没収棄却され,種彦は譴責(けんせき)を受けて間もなく没した。原典翻案は桐壺から真木柱に及ぶ。作者は〈歌舞妓,繰り(あやつり),物語,三ツが一ツになったる絵ざうし〉(2編序)の制作を狙い,原典のおもかげを偲ばせつつも趣向の複雑化を図り,推理小説的展開を付与する。一面,適度の演劇性も盛り,独自の考証癖も交える。とくに国貞の艶冶な挿絵の効力発揮に意を用い,情趣も漂う。翻案態度は前半は自由,後半は原典に即す。大好評を得,類似擬古典作を輩出させ,錦絵に源氏絵を流行させ,劇化もされて舞踊《名夕顔雨の旧寺(なにゆうがおあめのふるでら)》が伝わる。
執筆者:鈴木 重三
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柳亭種彦作,歌川国貞画の合巻(ごうかん)。38編,各編4巻。1829~42年(文政12~天保13)江戸鶴屋喜右衛門刊。39・40編は草稿で伝えられる。「源氏物語」に取材し,その草双紙的翻案をはかった作品。大好評をもって世に迎えられたが,天保の改革に際し,華美な装丁が風俗取締りの対象となり,42年,絶版の処分をうける。大奥の生活をうがったものであるため処分の対象となったと巷間では噂された。続編として刊行された「其由縁鄙廼俤(そのゆかりひなのおもかげ)」など,多数の追随作をうむ。「新日本古典文学大系」「岩波文庫」所収。
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…劇化のはじまりは,山東京伝の読本《復讐奇談 安積沼(あさかのぬま)》(1803)と合巻の《安積沼後日仇討》(1807)に取材した南北の《彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)》(1808年閏6月江戸市村座)であった。以下,著名な草双紙物をあげると,38年(天保9)市村座の《内裡模様源氏紫(ごしよもようげんじのえどぞめ)》と51年(嘉永4)江戸中村座の《東山桜荘子》は,柳亭種彦作《偐紫(にせむらさき)田舎源氏》(1829‐42),60年(万延1)中村座《金瓶梅曾我松賜(たまもの)》は,曲亭馬琴作《新編金瓶梅》(1831‐47),52年(嘉永5)江戸河原崎座の《児雷也豪傑譚話(ものがたり)》は,美図垣笑顔(みずがきえがお)作《児雷也豪傑譚》(1839‐47),53年江戸河原崎座の《しらぬひ譚》は,種員・種彦・種清合作の《白縫譚》(1849‐85),54年(安政1)中村座の《花見台(はなみどう)大和文庫》は,万亭応賀作《釈迦八相倭文庫(しやかはつそうやまとぶんこ)》(1845‐71)の,それぞれ脚色物であった。明治中期に草双紙が終息するとともに終わった。…
…その他上田秋成,近松門左衛門あるいは歌謡類にもその影響はみとめられる。近世小説では秋成のほか,末期の柳亭種彦の《偐紫田舎(にせむらさきいなか)源氏》も源氏物語の翻案物として名高く,好色本と呼ばれる類の中には,この物語に託したものが多い。遊女の呼び名を〈源氏名〉というが,こうした傾向もこの時代の源氏物語享受の一面を示すものといえよう。…
…特に歌舞伎趣味を極度に発揮した《正本製(しようほんじたて)》(1814)が成功を収めて地歩を確立したが,本書の挿絵を担当した浮世絵師歌川国貞と以後密に提携して,歌舞伎趣向の濃い中短編の佳作《画傀儡二面鏡(えあやつりにめんかがみ)》《御誂染遠山鹿子(おあつらえぞめとおやまがのこ)》などを制作し,彼の特質である江戸初期文芸の知識を生かした品格ある作風で声価を高めた。また,文政(1818‐30)末年合巻界に大作古典の翻案による長編作流行の興起を見て,《源氏物語》に取材し,新趣向を凝らした大作《偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)》を発表し,大好評を得て合巻界の第一人者となった。ほぼ同時作の,元禄期の諸国ばなしものを活用した《邯鄲(かんたん)諸国物語》も好評で,晩年は主としてこの2著の制作に力を傾注する。…
※「偐紫田舎源氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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