東征絵伝(読み)とうせいえでん

改訂新版 世界大百科事典 「東征絵伝」の意味・わかりやすい解説

東征絵伝 (とうせいえでん)

奈良時代に,日本に律宗を伝え唐招提寺開祖となった唐僧鑑真(がんじん)の事績を描いた絵巻。鎌倉時代における南都旧仏教復興の機運背景として,1298年(永仁6)鎌倉極楽寺の開山忍性が六郎兵衛蓮行なる画工に描かせ,本山唐招提寺に施入したことが奥書や端書によって知られ,現在5巻本として唐招提寺に所蔵されている。内容は,奈良時代末779年(宝亀10)に淡海三船(おうみのみふね)が撰した《唐大和上(とうだいわじよう)東征伝》に基づき,鑑真の孫弟子豊安の《鑑真和上三異事》をも参照して,和文化した詞書に絵をつけたもの。14歳の鑑真が楊州大雲寺で出家する場面を冒頭とし,渡唐僧栄叡・普照両師の請を入れて渡日を企て(第1巻),幾多の苦難を重ね,ついには盲目となりながらも大宰府に到着(第2~4巻),東大寺で戒を授け,遷化に至る(第5巻)までを克明に絵画化している。全巻の大半が唐土を舞台とすることから異国風の山水風物の表現につとめ,ことに画中の障壁画には水墨山水花鳥図を描き出す。伝統的なやまと絵の技法に新来の宋画風筆法樹木・山岳表現が加味されて,清新な画面が続き,ことに人物には鋭く力のこもった描写がみられる。画家蓮行については詳細は明らかでないが,鎌倉で活躍した画僧と思われ,前記の宋風の新様式の摂取と,東国的ないまだ洗練されていない直截で力強い表現とが,混然一体となった独自の画風を示している。都をはなれた地方でのすぐれた絵画制作の実態が知られることも,制作年代の明らかなこととあわせて絵画史的に重要な意義を持つ。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東征絵伝」の意味・わかりやすい解説

東征絵伝
とうせいえでん

鎌倉後期の絵巻。五巻。奈良・唐招提寺(とうしょうだいじ)蔵。重要文化財。「東征絵巻」「東征伝絵巻」ともいう。唐の高僧で、唐招提寺の開祖として知られる鑑真和上(がんじんわじょう)の生涯を説いた高僧絵伝で、詞(ことば)は奈良時代の淡海三船(おうみのみふね)著『唐大和上(とうだいわじょう)東征伝』を和文に翻案したもの。14歳で出家する段に始まり、日本の入唐僧栄叡(えいえい)、普照らの懇請により渡日を図り、再三の苦難を経て来朝、唐招提寺に入寂するまでの物語が描かれる。各巻(第二巻を除く)の奥書により、詞は美作前司(みまさかのせんじ)宣方(のぶかた)ら4人、絵は六郎兵衛(ろくろうびょうえ)蓮行(れんぎょう)で、1298年(永仁6)の作であることがわかり、また一部見返しには、唐招提寺の末寺(まつじ)である鎌倉極楽寺の開山、忍性(にんしょう)が本寺に施入(せにゅう)したことが記される。蓮行の伝記は明らかでないが、鎌倉在住の画工と推定されている。作中唐土における場面が多く、背景の山水、樹法などに宋(そう)の画風を意識した描法が支配的であり、また地方画壇特有の雰囲気も認められ、13世紀の絵巻としては特異の作風を示す。制作年代の明らかな点とあわせ、絵画史的にも重要である。

[村重 寧]

『小松茂美編『日本絵巻大成16 東征伝絵巻』(1978・中央公論社)』『亀田孜編『新修日本絵巻物全集21 東征伝絵巻』(1978・角川書店)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東征絵伝」の解説

東征絵伝
とうせいえでん

失明の不幸をのりこえて来日した唐僧鑑真(がんじん)の伝記絵巻。5巻。絵は六郎兵衛蓮行(れんぎょう)筆で,鎌倉在住の人物とみられ,画風には水墨画の影響が色濃い。施入銘と識語から,1298年(永仁6)鎌倉極楽寺の開山忍性(にんしょう)が唐招提寺に施入したことがわかる。詞書(ことばがき)は奈良時代末の「唐大和上東征伝」「鑑真伝」などにもとづいて和文化し,関東圏在住の4人が寄合書をしている。縦37.5cm,横1481.7~1986.4cm。唐招提寺蔵。重文。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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