あずま‐あそびあづま‥【東遊】
- 〘 名詞 〙 平安時代から行なわれた歌舞の名。東国の風俗歌(くにぶりのうた)に合わせて舞うところからこの名がある。もとは東国の民間に行なわれていたものが平安時代に宮廷に取り入れられ、貴族や神社の間にも行なわれるようになった。舞人は六人または四人。主唱をつかさどる歌方(うたいかた)は笏拍子(しゃくびょうし)を持ち、拍子、高麗笛(こまぶえ)、篳篥(ひちりき)、和琴(わごん)各一人から成る。唱和をする付歌(つけうた)若干(現行二人)、立奏のために和琴の首尾をささえる琴持ち二人から成る。後には、もっぱら神事舞として奏し、明治以後は、春秋の皇霊祭、一般の神社の恒例、臨時の祭礼の際などに行なわれる。一歌、二歌、駿河舞、片下(かたおろし)、求子(もとめご)歌、大比礼(おおひれ)歌から成り、駿河舞と求子歌に舞がつく。あずままい。
東遊〈遊行上人縁起絵〉
- [初出の実例]「賀茂祭云々、使左近中将敦忠朝臣、参内之次、召使舎人等、有東遊云々」(出典:九暦‐逸文・承平七年(937)四月(一五)日)
- 「ことごとしき高麗、唐土の楽よりも、あづまあそびの耳馴れたるは、なつかしくおもしろく」(出典:源氏物語(1001‐14頃)若菜下)
とう‐ゆう‥イウ【東遊】
- 〘 名詞 〙 東方へ歴遊すること。東国へ出かけること。
- [初出の実例]「わが鶴ふたたび東遊(トウユウ)して、木綿山にありしとき」(出典:読本・椿説弓張月(1807‐11)残)
- [その他の文献]〔戦国策‐秦策・始皇帝〕
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東遊 (あずまあそび)
雅楽の一種目。そこで歌われる歌を東遊歌という。もと東国の地方芸能であったらしいが,奈良時代から平安時代にかけて〈東舞〉などと称して近畿でも行われるようになり,9世紀ごろ様式をほぼ完成させた。楽器は句頭(くとう)(歌の主唱者)の打つ笏拍子(しやくびようし)のほか,篳篥(ひちりき),高麗(こま)笛(元来は東遊笛),和琴(わごん)(各1名)が用いられる。全曲の構成は,“高麗調子”(“ ”印のものは,楽器だけで演奏され,歌を伴わない),阿波礼(あわれ),“音出(こわだし)”,一歌(いちうた),二歌,“駿河歌歌出(するがうたのうただし)”,駿河歌一段,駿河歌二段,“加太於呂志(かたおろし)”,阿波礼,“求子歌出(もとめごのうただし)”,求子歌,“大比礼歌出(おおびれのうただし)”,大比礼歌。これらのうち,駿河歌二段,求子歌,大比礼歌は揚拍子(あげびようし)(拍節的なリズム)で歌われる。前2者は舞を伴い,その舞を駿河舞,求子舞といい,両方舞うことを諸舞(もろまい),いずれか一方だけ舞うのを片舞(かたまい)という。《枕草子》に〈まひは,するがまひ,もとめご,いとをかし〉とあるように,平安後期には盛んであったが,室町時代に伝承が絶えた。現行の東遊は1813年(文化10)石清水臨時祭に再興されたもので,宮中や神社の祭祀に用いられる。舞人は4人もしくは6人。巻纓(けんえい)の冠に緌(おいかけ)を付け,季節の花を挿頭(かざし)とし,青摺の袍を着て太刀を佩(は)く。
執筆者:田辺 史郎
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東遊
あずまあそび
古代歌舞。東舞(あずままい)ともいい、もと東国地方の歌舞であったものが、のちに朝廷の大儀に取り入れられ、舞楽化するに至った。駿河(するが)国(静岡県)有度(うど)浜に天人が降りて舞ったのがその起源だという伝説がある。861年(貞観3)東大寺大仏供養のおりの記録に「東舞」とみえるのを初めとして、すでにこの貞観(じょうがん)のころには春日(かすが)祭、大原野祭で行われており、以後賀茂(かも)および石清水(いわしみず)臨時祭、平野祭、賀茂祭、祇園(ぎおん)の臨時祭などでも漸次行われるようになった。宮廷では一時期とだえていたが、江戸時代に再興、訂正された。
現行の東遊の舞人は、6人ないし4人。舞人装束は青摺(あおずり)の袍(ほう)に表袴(うえのはかま)をつけ太刀を帯びる。頭には巻纓(けんえい)の冠に緌(おいかけ)をつけ、冠に季節の挿頭(かざし)の花を飾る。歌方は拍子、付歌(つけうた)、高麗(こま)笛、篳篥(ひちりき)、和琴(わごん)、それに琴持(こともち)。舞は駿河歌と求子(もとめご)歌につく。現在、東遊は宮内庁楽師により春秋の皇霊祭、神武(じんむ)天皇祭や埼玉県さいたま市大宮区の氷川(ひかわ)神社の例祭などに奏されるほか、賀茂神社、春日若宮、日光東照宮、金刀比羅(ことひら)宮の祭礼にも行われている。
[高山 茂]
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東遊【あずまあそび】
東舞・駿河舞とも。東国の歌舞の意で,いくつかの舞の総称。民間のものが奈良時代に宮廷に取り入れられたものと考えられる。曲目は駿河歌・求子(もとめご)歌など6部からなるが,今日では4人または6人で舞う。近衛の官人の正装に挿頭(かざし)をつける。宮中をはじめ平安時代中期から賀茂・春日(かすが)・石清水(いわしみず)・八坂などの各社の神事舞となった。伴奏楽器は笏拍子(しゃくびょうし),篳篥(ひちりき),狛笛(こまぶえ),和琴(わごん)。現在は宮内庁楽部のほか,春日大社,賀茂神社,大宮氷川神社,熱田神宮などで行われる。
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東遊
あずまあそび
日本伝統歌舞の一つ。東国地方の歌の意で,大和地方の大和歌に対する。宇多天皇の寛平1 (889) 年賀茂臨時祭にこの歌を奉ったのを初めとして,現在では神武天皇祭,春秋の皇霊祭や諸神社 (石清水,加茂,氷川など) の祭りに宮内庁楽部の楽師や神社所属の楽人によって奏される。曲は一歌 (いちうた) ,二歌,駿河歌,求子歌 (もとめごうた) ,大比礼歌 (おおびれうた) の5曲で,それぞれの曲の間には,「阿波礼 (あわれ) 」や「於振 (おぶり) 」など短い声楽曲,「歌出」と称する前奏的器楽曲が奏される。句頭 (くとう。独唱者) と付歌 (つけうた。斉唱者2名) によって次々に歌われ,それを和琴 (わごん) ,高麗笛 (こまぶえ) ,篳篥 (ひちりき) の楽器がおのおの1人ずつで伴奏する。なお曲の中心を成す駿河歌と求子歌では6人の舞人によって舞が舞われる。
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東遊
あずまあそび
神社などの儀式で行われた東国に起源する歌舞
東舞 (あずままい) も同系とされる。延喜(901〜923)ころにその方式が勅定された。歌は,一歌・二歌・駿河歌・求子 (もとめご) 歌・片下 (かたおろし) (大比礼 (おおびれ) 歌)の5曲よりなるが,舞がつく3・4曲が中心である。中世には一時廃絶したが,江戸時代に復興された。
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世界大百科事典(旧版)内の東遊の言及
【舞楽装束】より
…日本の雅楽に用いる装束で,大別すると,日本古来の歌舞(うたまい)の舞人装束,管絃の装束,舞楽装束となり,一般にはこれらを総括して舞楽装束と称する。
[歌舞の舞人装束]
歌舞とは,神楽([御神楽](みかぐら)),[大和(倭)舞](やまとまい),[東遊](あずまあそび),[久米舞],風俗舞(ふぞくまい)([風俗]),[五節舞](ごせちのまい)など神道系祭式芸能である。〈御神楽〉に使用される〈人長舞(にんぢようまい)装束〉は,白地生精好(きせいごう)([精好])の裂地の[束帯]で,巻纓(けんえい∥まきえい),緌(おいかけ)の[冠],赤大口(あかのおおくち)([大口]),赤単衣(あかのひとえ),表袴(うえのはかま),[下襲](したがさね),裾(きよ),[半臂](はんぴ∥はんび),忘緒(わすれお),[袍](ほう∥うえのきぬ)(闕腋袍(けつてきほう)――両脇を縫い合わせず開いたままのもの),[石帯](せきたい),檜扇(ひおうぎ)([扇]),帖紙([畳紙])(たとうがみ),[笏](しやく)を用い,六位の黒塗銀金具の太刀を佩(は)き,糸鞋(しかい)(糸で編んだ[沓](くつ))を履く。…
【求子】より
…雅楽の一種目である〈[東遊](あずまあそび)〉の一部分で,[駿河舞]とともにその頂点をなす。伴奏の歌を〈求子歌(もとめごのうた)〉,舞を〈求子舞〉という。…
【大和舞】より
…律令時代には[雅楽寮]で教習された(《令集解》)。[東遊](あずまあそび)が東国芸能に始まるのに対し,大和舞は近畿の民謡を起源とすることから,しばしば対置され,たとえば861年(貞観3)3月東大寺大仏御頭供養では武官20名による東遊と並び,文官20名の大和舞が奉納されている。平安中後期に,[大嘗祭](だいじようさい)の形式が整えられると,久米舞,吉志舞(きしまい),五節舞(ごせちのまい),田舞(たまい)などとともに奏されるのが慣例となった。…
※「東遊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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