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雷電為右衛門 らいでんためえもん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

雷電為右衛門
らいでんためえもん

[生]明和4(1767).信濃,大石
[没]文政8(1825).江戸
江戸時代中期の力士。関半右衛門の子として生まれ,天明4 (1784) 年江戸に出て,年寄浦風林右衛門に入門寛政2 (1790) 年西張出関脇の位置で江戸相撲本場所に初出場。同7 (1795) 年大関となり引退するまで 21年間幕内力士を務めた。身長 197cm,体重 168.8kgという体躯 (たいく) に恵まれ,谷風,小野川と並ぶ名力士とうたわれた。通算成績は 452勝 10敗,優勝相当 25回。

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デジタル大辞泉の解説

らいでん‐ためえもん〔‐ためヱモン〕【雷電為右衛門】

[1767~1825]江戸後期の力士。信濃の人。大関在位17年。32場所中、254勝10敗、勝率9割6分以上の驚異的な成績を残した。

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百科事典マイペディアの解説

雷電為右衛門【らいでんためえもん】

江戸中期の力士。信濃国出身。幼名太郎吉。1784年江戸に出て浦風に入門,1788年雲州松平侯にかかえられた。1790年冬,いきなり関脇つけ出しとして初土俵を踏み,優勝。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

雷電為右衛門 らいでん-ためえもん

1767-1825 江戸時代中期-後期の力士。
明和4年1月生まれ。浦風部屋に入門,谷風の内弟子として修業。天明8年出雲(いずも)松江藩のお抱え力士となる。寛政7年当時最高位の大関に昇進。197cm,170kgの巨体,怪力のため禁じ手が3手あったという伝説をもつ。文化8年引退。幕内成績254勝10敗21分,勝率9割6分2厘。13年間の巡業日記をのこした。文政8年2月11日死去。59歳。信濃(しなの)(長野県)出身。本名は関太郎吉。

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朝日日本歴史人物事典の解説

雷電為右衛門

没年:文政8.2.11(1825.3.30)
生年:明和4.1(1767)
江戸後期の力士。信濃国(長野県)小県郡大石村生まれ。本名関太郎吉。強豪大関として谷風梶之助,小野川喜三郎と共に寛政大相撲黄金期を築いた。17歳で浦風部屋に入門,寛政2(1790)年11月関脇に付け出され,谷風の死去により同7年3月大関に昇進。197cm,170kgの一枚あばらといわれる理想的な体躯で,年2場所時代に優勝相当成績27回,勝率9割6分2厘の記録を残す。その強さは古今無双であるが,横綱免許は受けていない。理由は不明で,講談本では相手を殺傷したとあるが,これは事実無根。単に相撲が強かっただけではなく,少年のころ信州丸子町石尊之辻の寺子屋で学問と相撲の修業を積んでおり,巡業中の行動や金銭の出納などを記述した「諸国相撲控帳」(通称「雷電日記」)を残している。文化8(1811)年45歳で引退。江戸で没し,報土寺(港区赤坂)に葬られた。墓はほかに妻八重の生家がある下総国佐倉(千葉県)の浄行寺と松江藩お抱えだったため月照寺(松江市)にある。郷里(長野県東部町)にも墓と電雷碑(碑文は同郷の佐久間象山が書いた)がある。<参考文献>藤原銀次郎『力士雷電』,小島貞二『雷電為右衛門』,東部町商工会青年部編『郷土のほこり雷電為右エ門』

(水野尚文)

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世界大百科事典 第2版の解説

らいでんためえもん【雷電為右衛門】

1767‐1825(明和4‐文政8)
江戸中期の強豪大関。信濃国小諸在大石村(現,長野県小県郡東部町滋野大石)に生まれる。本名関太郎吉。村の庄屋に見いだされ,浦風部屋の隠し道場で稽古を積み,23歳のとき江戸に出て入門。1790年(寛政2)いきなり西関脇に付け出されたが,入門前の88年雲州(松江)の松平侯に召し抱えられた。95年谷風亡きあと大関に昇進。6尺6寸(197cm),45貫(169kg)の巨体から繰り出す怪力のため,張り手,鉄砲(突っ張り),かんぬきの3手を禁じられたという伝説を,現役時代に生んだ。

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大辞林 第三版の解説

らいでんためえもん【雷電為右衛門】

1767~1825) 江戸後期の力士。信濃の人。当時の最高位である大関をつとめ、無類の強豪ぶりをうたわれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

雷電為右衛門
らいでんためえもん
(1767―1825)

江戸時代の強豪力士。信州大石村(現長野県東御(とうみ)市)生まれ。本名関太郎吉。23歳のとき浦風部屋に入門し、1788年(天明8)松江藩主松平家のお抱え力士となり、雷電と名のる。91年(寛政3)西関脇(せきわけ)に付け出され、95年谷風のあと西大関に昇進した。身長197センチメートル、体重169キログラムの巨体から繰り出す怪力のため、張り手・鉄砲(上突っ張り)・かんぬきの三手を禁じられたという伝説を生んだ。その強豪ぶりは、1811年(文化8)43歳で引退するまで、21年間32場所三役を下ったことがなく、254勝10敗、勝率9割6分2厘、連続優勝7回という、いずれも古今最高を記録した。その間、小野川をはじめ11人の東大関を相手に一歩も譲らず、44連勝、43連勝した。当時「横綱」とは、土俵入りのときに腰にまとう「しめなわ」のことをさしていい、力士の階級でも尊称でもなかった。そして、徳川将軍の上覧相撲に際して選ばれた大関力士が、儀式としてしめた。雷電は、その機会に恵まれなかっただけで、当時の最高位・大関で、無敵の強さをほこった。[池田雅雄]

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世界大百科事典内の雷電為右衛門の言及

【寛政力士伝】より

…講談。4代横綱谷風とその弟子雷電および小野川の3名の力士を中心に,佐野山の孝心,稲川の義俠などを描く。なかでも谷風の七善根,雷電の封じ手,小野川雷電遺恨相撲などがおもしろい。小田原の仇討相撲は一席物として今日でもよく演じられる。これを語って有名な真竜斎貞水(しんりゆうさいていすい)(のちに早川貞水,1917没)は国技館木戸御免であったし,貞鏡時代の1896年に《寛政力士伝》を刊行した。【吉沢 英明】…

【東部[町]】より

…戌立(いんたて)石器時代住居跡は国史跡に指定されている。大石は江戸中期の名力士雷電為右衛門の出生地である。【柳町 晴美】。…

※「雷電為右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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