デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵屋喜三郎」の解説
杵屋喜三郎(5代) きねや-きさぶろう
慶安2年?生まれ。2代杵屋勘五郎(杵屋宗家3代)の次男。宗家5代。宗家(喜三郎)の代数は勘五郎,六左衛門名義をふくめ,15代をかぞえる。兄の宗家4代六左衛門が病身のため,跡をつぐ。元禄(げんろく)15年江戸中村座の顔見世番付にその名がある。「酒呑童子(しゅてんどうじ)」「槍踊」などを作曲したという。正徳(しょうとく)5年5月12日?死去。67歳?
杵屋喜三郎(7代) きねや-きさぶろう
杵屋宗家6代喜三郎の子。宗家7代。享保(きょうほう)8年の江戸中村座の寿狂言「猿若」「新発意太鼓(しんぽちだいこ)」を父とともにつとめる。「泰平の綱引」で,三味線の上調子(うわぢょうし)を創始したとつたえられる。宝暦2年2月25日?死去。前名は杵屋太十郎。作品に「傾城(けいせい)道成寺」「相生(あいおい)獅子」。
杵屋喜三郎(6代) きねや-きさぶろう
杵屋宗家6代。享保(きょうほう)8年江戸中村座の猿若勘三郎百年忌(猿若座創立100年目)寿狂言「猿若」「新発意太鼓(しんぽちだいこ)」を子の喜三郎(宗家7代)とともにつとめ,「泰平の綱引」を作曲したという。後年六左衛門とあらためたともいうが定かでない。享保15年2月19日死去。
杵屋喜三郎(15代) きねや-きさぶろう
大正12年11月21日生まれ。宗家14代杵屋六左衛門の長男。父および山田抄太郎らに師事し,昭和17年杵屋宗家15代喜三郎を襲名。56年弟の6代杵屋勘五郎と杵屋会を組織する。平成5年長唄協会会長。9年人間国宝。京都出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。本名は杵家安広。
杵屋喜三郎(8代) きねや-きさぶろう
杵屋宗家7代喜三郎の子。宗家8代。明和5年喜三郎をつぐ。門弟万吉を養子としたのちに実子の胴吉が生まれたので,万吉を別家させて六左衛門の名跡をつがせた(別家9代)。天明7年9月20日?死去。初名は三郎助。作品に「種蒔(たねまき)三番叟(さんばそう)」など。
杵屋喜三郎(10代) きねや-きさぶろう
杵屋宗家9代喜三郎の養子。天保(てんぽう)10年(1839)から江戸中村座にでる。15年宗家をついで10代目となり,嘉永(かえい)3年7月30日死去。早世したという。死後杵屋宗家の名義は別家10代杵屋六左衛門にあずけられた。初名は佐太郎。
杵屋喜三郎(9代) きねや-きさぶろう
杵屋宗家8代喜三郎の子。寛政4年義兄の万吉から三郎助(3代)の名をゆずられ,9年義兄が別家9代六左衛門を名のったとき,喜三郎として杵屋宗家9代を相続した。天保(てんぽう)13年4月4日死去。幼名は胴吉。