江戸後期の大名。信礼(のぶうや)の子。幼名春之丞(はるのじょう)。1770年(明和7)家督を継いで三河吉田7万石の藩主となり、77年(安永6)伊豆守(いずのかみ)に任じた。84年(天明4)奏者番(そうじゃばん)となり、やがて老中首座松平定信(さだのぶ)の信任を得て、88年2月側用人(そばようにん)に抜擢(ばってき)され、ついで4月老中に昇進、定信が断行した寛政(かんせい)の改革政治に活躍した。93年(寛政5)定信退任後は、老中首座となって改革の政治路線を継承、いわゆる「寛政の遺老」の中心人物となった。1803年(享和3)にいったん老中を辞したが、06年(文化3)ふたたび老中となり、17年(文化14)8月29日に没するまで幕閣の筆頭責任者として敏腕を振るった。「知恵伊豆(いず)」と称された松平伊豆守信綱(のぶつな)の7代目の子孫にあたるので「小伊豆」と称された。
[竹内 誠]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(藤田覚)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
1760~1817.8.29
江戸後期の老中首座。三河国吉田藩主。父は信礼。1770年(明和7)遺領相続。奏者番・側用人をへて88年(天明8)老中に就任。松平定信の寛政の改革を助けた。93年(寛政5)定信失脚後,老中首座となり,本多忠籌(ただかず)・牧野忠精(ただきよ)・戸田氏教らとともに改革路線を引き継いだ。また「寛政重修諸家譜」の編纂を主宰した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…三河国(愛知県)吉田に藩庁を置いた譜代中小藩。1869年(明治2)版籍奉還の際,豊橋藩と改称。1601年(慶長6)松平(竹谷)家清,12年松平(深溝)忠利,32年(寛永9)水野忠清,42年水野忠善,45年(正保2)小笠原忠知,97年(元禄10)久世重之,1705年(宝永2)牧野成春,12年(正徳2)松平(大河内)信祝(のぶとき),29年(享保14)松平(本庄)資訓,49年(寛延2)松平(大河内)信復(のぶなお)と,近世中期まで大名の交替が相次ぎ,歴代には小笠原長重,久世重之,松平信祝,信明(のぶあきら),信順(のぶより),信古(のぶひさ)と幕府の要職についたものが多い。…
※「松平信明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新