出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都新宿区南東部、四谷(よつや)4丁目交差点付近にあった旧地名。江戸時代、江戸の市街地の出入口にあたる所に設けられ、取締りの関門の役割を果たした大木戸が地名となった。東海道筋の芝高輪(たかなわ)大木戸に対し、甲州街道筋は四谷大木戸(1616年設置)とよばれた。甲州街道の出入口の第一関門の大木戸に対して、第二の関門は四谷見附(みつけ)であり、見附の完成(1636年)により、1792年(寛政4)大木戸は廃止され、道の両側の石垣も明治になって撤去された。この近くに日本橋から移転させた四谷伝馬(てんま)町、四谷塩町があり、甲州街道筋の繁華街であった。現在、東京都水道局新宿営業所通用門わきに碑が残っている。一方、1710年(宝永7)設置された高輪大木戸(港区高輪2丁目)は、跡地が国指定史跡として保存され、土塁が残っている。伊能忠敬(いのうただたか)の全国測量は、ここを基点とした。
[沢田 清]
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江戸時代に都市の出入口に設置された関門。町々の木戸よりも規模が大きい。江戸の芝高輪(たかなわ)の大木戸は,東海道の両脇に長さ5間,横4間,高さ1丈の土手石垣を築き,柵,門が設けられていた。付近には,道中の送迎の人々のための水茶屋や牡丹餅(ぼたもち)屋が並んでいた。また甲州街道では四谷,中山道では板橋宿の岩の坂上に大木戸があり,街道交通の警備の要衝であった。
執筆者:吉原 健一郎
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…地名は街道の両側に四つの谷があるからとも,四谷見附付近は家が4軒しかなかったため四つ家といったともいう。1636年(寛永13)江戸築城の総仕上げの一環として,今もよくその遺構を残す赤坂~喰違(くいちがい)~四谷~市谷~牛込間の外堀,土居,外郭門を建設する際に外郭門を改めて四谷門と呼び,門外から大木戸(四谷4丁目)までを四谷と呼んだ。この時,現在の堀の部分にあった麴町11~13丁目は分断され,郭外の町屋になり昭和初期まで四谷区麴町11~13丁目があった。…
※「大木戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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