デジタル大辞泉
「板谷波山」の意味・読み・例文・類語
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いたや‐はざん【板谷波山】
- 陶芸家。名は嘉七。茨城県出身。整った形と精密な文様で知られる。日本芸術院会員。文化勲章受章。明治五~昭和三八年(一八七二‐一九六三)
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板谷 波山
イタヤ ハザン
明治〜昭和期の陶芸家 帝展工芸部審査員。
- 生年
- 明治5年3月3日(1872年)
- 没年
- 昭和38(1963)年10月10日
- 出生地
- 茨城県真壁郡下館町(現・下館市)
- 本名
- 板谷 嘉七
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科〔明治27年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 文化勲章〔昭和28年〕
- 経歴
- 明治29年石川県工業学校彫刻科主任教諭となり、31年陶磁科を担当。36年30歳を過ぎてから陶芸家となるため上京、東京・田端に築窯し波山と号した。以来、東洋古磁器の技術を研鑽し、モダンな葆光彩磁の技法を創始。昭和2年第8回帝展に工芸部が設置されて審査員となり、4年帝国美術院会員、9年帝室技芸員。28年工芸家として初めて文化勲章を受章した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
板谷波山
いたやはざん
(1872―1963)
陶芸家。茨城県下館(しもだて)町(現筑西(ちくせい)市)に生まれる。本名は嘉七。初め彫刻家を志し、17歳のとき東京美術学校彫刻科に入学。卒業後赴任した石川県工業学校で陶磁科を担当したことから本格的に製陶を研究し始め、32歳のとき東京都北区田端(たばた)に窯をおこし、故郷の筑波山にちなんで波山と号した。彫刻科出身者らしく、成形から加飾まで全力を傾注して一作を仕上げていく完璧(かんぺき)主義を貫いた技巧派の巨匠で、また釉薬(ゆうやく)を中心とする加飾法の独創も早くから意図したところであった。作風が確立するのは40歳ごろからで、独自の葆光釉(ほうこうゆう)を開発し、完成度の高い器形や文様を夢幻的調べで包むという未曽有(みぞう)の美的世界をつくりあげた。1953年(昭和28)81歳で陶芸家としては初の文化勲章を受けた。
[矢部良明]
『林屋晴三編集・解説『現代日本陶芸全集1 板谷波山』(1980・集英社)』
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板谷波山 (いたやはざん)
生没年:1872-1963(明治5-昭和38)
陶芸家。茨城県下館に生まれる。本名嘉七。東京美術学校彫刻科卒業後,金沢の石川県立工業学校で彫刻を教えたが,のちに陶磁科を担当して陶芸の道に入る。1904年東京田端に築窯して自立,日本美術協会展などで受賞を重ね,27年帝展工芸部の創設に際して審査員に推される。29年帝国美術院会員,34年帝室技芸員を経て53年文化勲章を受章する。作風は端正で格調があり,とくに薄彫の文様に色をさした彩磁や,その上に半透明な釉をほどこした葆光(ほうこう)彩磁には定評がある。近代陶芸界における官展系の指導者であった。
執筆者:吉田 耕三
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板谷波山
いたやはざん
[生]明治5(1872).3.3. 茨城,下館
[没]1963.10.10. 東京
陶芸家。 1894年東京美術学校彫刻科卒業。石川県工業学校,次いで東京高等工業学校に勤務しながら陶磁器の研究を重ね,1904年から東京田端に窯を築いて制作に専念した。端正な形態,精妙な絵付け,浮彫風の手法など,新感覚を生かしたきめの細かい格調ある作風を示す。大正初年にはマット釉を創案し,当時の陶界に多大な感化を与えた。帝国芸術院会員,帝室技芸員,東陶会会長となり,1953年文化勲章受章。主要作品『葆光釉 (ほこうゆう) 花枝文壺』 (1935) ,『彩磁瑞花鳳凰図花瓶』 (1927) 。
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板谷波山 いたや-はざん
1872-1963 明治-昭和時代の陶芸家。
明治5年3月3日生まれ。31年石川県立工業学校の陶磁科担当となったのを契機に,独学で陶芸を研究。36年東京田端に窯をひらき,のち内外の展覧会に入賞。昭和4年帝国美術院会員。9年帝室技芸員。28年陶芸界ではじめて文化勲章を受章。昭和38年10月10日死去。91歳。茨城県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は嘉七。作品に「葆光彩磁(ほうこうさいじ)牡丹唐草花瓶」「彩磁禽果文花瓶」など。
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板谷波山【いたやはざん】
陶芸家。茨城県下館(現・筑西市)の出身。本名嘉七。東京美術学校彫刻科卒。1903年東京田端に開窯。作品は細密精巧で品位高く,特に青磁や薄彫の文様に色をさした彩磁は明治以後の最高峰といわれる。1953年文化勲章。
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板谷 波山 (いたや はざん)
生年月日:1872年3月3日
明治時代-昭和時代の陶芸家。帝展工芸部審査員
1963年没
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