柏井園(読み)カシワイ エン

20世紀日本人名事典 「柏井園」の解説

柏井 園
カシワイ エン

明治・大正期の牧師,キリスト教史学者,文明評論東京神学社教頭



生年
明治3年6月24日(1870年)

没年
大正9(1920)年6月25日

出生地
土佐国(高知県)

学歴〔年〕
同志社普通学校〔明治24年〕卒

経歴
高知英和女学校教師を経て、明治26年植村正久に請われ明治学院講師となる一方、「福音新報」を編集。36年神学教授。同年ユニオン神学校に留学、38年帰国後新設の東京神学社教頭に就任。大正8年千駄ケ谷日本基督教会牧師を兼任。日本基督教青年会主事も務め、「開拓者」「文明評論」を創刊。めざましい評論活動を続け、著書「基督教史」(大正3)は、わが国最初の包括的キリスト教史といわれる。「柏井園全集」(全6巻・続篇5巻・別巻1)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「柏井園」の意味・わかりやすい解説

柏井園 (かしわいえん)
生没年:1870-1920(明治3-大正9)

神学者,牧師。高知県出身,同志社を卒業し明治学院神学部講師,のち教授となる。1903年渡米し,ユニオン神学校で神学を研究,05年帰国し東京神学社教頭。翌年より2年間,日本基督教青年会主事を務め雑誌《開拓者》を主宰。14年雑誌《文明評論》を創刊,17年1月号に田川大吉郎の元老批判の論文を掲載したかどで発行署名人として罰をうけた。19年には千駄ヶ谷日本基督教会牧師を兼ね伝道に当たった。キリスト教界の文筆の人としての業績は《柏井全集》(正・続11巻)に収録されている。主著は《基督教史》(1924)など。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柏井園」の意味・わかりやすい解説

柏井園
かしわいえん

[生]明治3(1870).7.22. 高知
[没]1920.6.24.
キリスト教神学者。文明評論家。 1887年高知教会で受洗し,同志社大学に入学。卒業後土佐女学校教員に就任。 93年植村正久に抜擢されて明治学院神学部講師,のちに教授となる。アメリカ留学後植村の設立した東京神学社教授となる。文筆をよくし,『福音新報』『開拓者』『文明評論』などに執筆,多彩な評論は注目された。『文明評論』の田川大吉郎論文『方法を知らぬ民』の筆禍事件に連座して処分を受けた。著書は『柏井全集』 (正続 11巻,1922) にまとめられている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柏井園」の解説

柏井園 かしわい-えん

1870-1920 明治-大正時代の神学者,牧師。
明治3年6月24日生まれ。26年植村正久の推薦で明治学院の教師となり,のち東京神学社の教頭に就任。神学研究のかたわら「福音新報」の編集にあたり,「開拓者」などの主筆として活躍した。大正9年6月25日死去。51歳。土佐(高知県)出身。同志社普通学校卒。著作に「基督(キリスト)教史」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「柏井園」の解説

柏井 園 (かしわい えん)

生年月日:1870年6月24日
明治時代;大正時代の牧師;神学者。明治学院講師
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む