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柴田花守 しばた はなもり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柴田花守 しばた-はなもり

1809-1890 江戸後期-明治時代の神道家。
文化6年1月8日生まれ。不二道(ふじどう)の小谷三志(こたに-さんし)に師事し,不二道10世教主となり,咲行(しょうぎょう)と称する。富士信仰を神道化して,明治11年実行社を組織。15年神道実行派の名で教派神道として独立,17年実行教初代管長。和歌,書画にもすぐれた。明治23年7月11日死去。82歳。肥前小城郡(佐賀県)出身。号は琴岡,笑園。著作に「国之真柱」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

柴田花守

没年:明治23.7.11(1890)
生年:文化6.1.8(1809.2.21)
明治前期の神道家,不二道の10世教主。実行教の組織者。咲行ともいう。肥前(佐賀県)小城の藩士の子として生まれる。幼名権次郎。備前(岡山県)において平田派の国学を学び,次いで18歳のとき,不二道の第8世先達である小谷三志の門人となる。幕末には,諸国をめぐって布教しながら,勤王派の志士たちとも交わりを深める。維新後,明治11(1878)年に実行社を組織,同15年にこれが神道実行派として一派独立すると,その初代管長に就任。しばしば富士山に登り,また各地に巡教する。富士信仰を中核として,これに復古神道的色彩を加えた教えを説く。<著作>『国之真柱』『古道或問』『実行録』<参考文献>田中義能『神道十三派の研究』

(井上順孝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柴田花守
しばたはなもり
(1809―1890)

幕末~明治前期の神道(しんとう)家。不二道(ふじどう)の第10世教主。教派神道実行(じっこう)教の組織者。咲行(しょうぎょう)ともいう。文化(ぶんか)6年1月8日、肥前(佐賀県)小城(おぎ)の藩士として生まれる。幼名権次郎(ごんじろう)。平田派の国学を学び、18歳のとき不二道の第8代先達(せんだつ)である小谷禄行(こだにろくぎょう)(三志(さんし))の門人となる。幕末には勤王派の志士と交わりが深かった。維新後、1878年(明治11)に実行社を組織、82年これが神道実行派として一派独立すると、その初代管長に就任。しばしば富士山に登り、各地に巡教する。富士信仰に復古神道的色彩の加わった教えを説く。『国之真柱(まはしら)』『古道或問(わくもん)』『実行録』など多くの著書がある。[井上順孝]

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