柿本 豊次
カキモト トヨジ
- 職業
- 能楽囃子方(金春流太鼓方)
- 専門
- 太鼓
- 肩書
- 重要無形文化財保持者(能囃子方・太鼓)〔昭和43年〕
- 生年月日
- 明治26年 7月4日
- 出生地
- 石川県 金沢市
- 学歴
- 明治薬専〔大正11年〕卒
- 経歴
- 生家は金箔業を営む。明治41年頃から謡の手ほどきを受け、大正3年「小鍛冶」で初舞台。4年本格的に太鼓方を志し、5年上京、21代金春惣右衛門に入門。6年薬局に奉公しながら修業を続ける。のち薬剤師試験に合格。昭和24年「朝長・懺法」を披く。秘曲・大曲を手がけるとともに新作能の試演にも協力。32年より日本能楽会会員。43年人間国宝に。51〜54年病気療養のため舞台を離れるが、55年復帰、「邯鄲」を演じた。
- 所属団体
- 日本能楽会
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(昭40年度)〔昭和41年〕 勲五等双光旭日章〔昭和42年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和55年〕
- 没年月日
- 平成1年 12月30日 (1989年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
柿本 豊次
カキモト トヨジ
大正・昭和期の能楽囃子方(金春流太鼓方)
- 生年
- 明治26(1893)年7月4日
- 没年
- 平成1(1989)年12月30日
- 出生地
- 石川県金沢市
- 学歴〔年〕
- 明治薬専〔大正11年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術選奨文部大臣賞〔昭和40年〕,勲五等双光旭日章〔昭和42年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和55年〕
- 経歴
- 大正3年「小鍛冶」で初舞台。5年上京、先代金春惣右衛門に入門。「姨捨」「朝長・懺法」などの秘曲・大曲を手がけるとともに新作能の試演にも協力。昭和32年より日本能楽会会員。43年人間国宝に。51〜54年病気療養のため舞台を離れるが、55年復帰、「邯鄲」を演じた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
柿本豊次
かきもととよじ
[生]1893.7.4. 石川,金沢
[没]1989.12.30. 東京,杉並
金春流太鼓方の能楽師。出身地の金沢で安井三治の手ほどきを受け,1914年『小鍛冶』で初舞台。1916年に上京,21世金春惣右衛門(国泰)に師事。1928年『道成寺』を初演。1965年度芸術選奨文部大臣賞。1968年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。薬剤師の免許をもち,薬局を営みながら芸道に精進した。(→能)
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
柿本豊次 かきもと-とよじ
1893-1989 大正-昭和時代の能楽師太鼓方。
明治26年7月4日生まれ。金春(こんぱる)流。薬剤師として生計をたてながら21代宗家金春惣右衛門(そうえもん)に入門。「姨捨(おばすて)」「朝長(ともなが)」などの秘曲・大曲を手がけ,堅実かつ華麗な桴(ばち)さばきをみせた。昭和43年人間国宝。平成元年12月30日死去。96歳。石川県出身。明治薬学校(現明治薬大)卒。
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柿本豊次
かきもととよじ
(1893―1989)
能楽師。金春流(こんぱるりゅう)太鼓方。金沢市生まれ。初め同地で安井三治の手ほどきを受け、1916年(大正5)に上京して、宗家21世金春林太郎(のち惣右衛門国泰(そうえもんくにやす))に師事。薬剤師を勤めながら苦労して修業、重厚しかも華麗な芸風をもって太鼓方の第一人者となり、68年(昭和43)重要無形文化財各個指定(人間国宝)の認定を受けた。
[小林 責]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
柿本 豊次 (かきもと とよじ)
生年月日:1893年7月4日
昭和時代の能楽囃子方(金春流太鼓方)
1989年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の柿本豊次の言及
【金春流】より
…現家元の22世金春惣右衛門国長(1924‐ )は増見家(熊本の役者)から入って1916年に家元を継いだ国泰(1897‐1942)の子。83年現在,能楽協会には重要無形文化財各個指定(人間国宝)の柿本豊次(1893‐ )ほか約20名が登録されている。芸風は,もとは武骨な激しい流風だったらしいが,艶のある繊細な芸風の先代21世惣右衛門の改革で柔らかみが加わり,桴(ばち)扱いも近代風の軽快なものになったといわれる。…
※「柿本豊次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」