金春流(読み)コンパルリュウ

デジタル大辞泉 「金春流」の意味・読み・例文・類語

こんぱる‐りゅう〔‐リウ〕【金春流/今春流】

能のシテ方流派の一。大和猿楽円満井えんまんいの流れで、幕末までは金春座といった。飛鳥時代秦河勝はたのかわかつを遠祖とするが、金春禅竹のころ流風が確立、桃山時代に全盛を極めた。
能の太鼓方の流派の一。禅竹の叔父、金春三郎豊氏を流祖とする。5世以後、金春惣右衛門流または惣右衛門流ともいう。

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精選版 日本国語大辞典 「金春流」の意味・読み・例文・類語

こんぱる‐りゅう‥リウ【金春流・今春流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 能楽シテ方の一流派。大和猿楽の円満井(えまい)座(または、竹田座)から出、能楽五流中最古の流派。世阿彌の女婿の禅竹が流風に新生面を開き、桃山時代には全盛をきわめた。こんぱる。
    1. [初出の実例]「金春流にかさね文字と申は、高砂の尾の上の鐘の音す也と詠ふ事也」(出典:金春座系伝書‐宗筠袖下(16C後))
  3. 能楽囃子方太鼓の一流派。金春禅竹の叔父にあたる金春三郎豊氏を祖とし、はなやかな芸風を持つ。六代惣右衛門一峰のとき、徳川家康に召し出され、以後、金春惣右衛門流、または惣右衛門流と名乗ることが多い。こんぱる。

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改訂新版 世界大百科事典 「金春流」の意味・わかりやすい解説

金春流 (こんぱるりゅう)

(1)能のシテ方の流派名。かつて竹田郷と呼ばれた奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町西竹田付近を本拠とし,鎌倉時代から初瀬寺に属し,のち春日神社興福寺に勤仕した円満井座(えんまんいざ)/(えまいざ)ののちの名で,大和猿楽四座のうちで最も歴史が古い。竹田の座ともいった。系図では聖徳太子時代の秦河勝(はたのかわかつ)を遠祖とし,現家元まで79代を数えるが,猿楽の家としては,南北朝時代の毘沙王権守(びしやおうごんのかみ)(河勝より53世)あたりを流祖とみてよいであろう。《猿楽縁起》(金春禅竹筆,1468)による金春の家系は,毘沙王権守を秦氏安(村上天皇のころの人)より26代とし,長子光太郎(27代),その子毘沙王次郎(28代)と続き,29代を毘沙王権守の三男金春権守の子,弥三郎が継いでいる。金春権守は観阿弥とほぼ同時代の役者で《昭君》の作者でもあるが,大和猿楽の得意芸である鬼能に長じた長兄光太郎の没後は,円満井座を代表する棟梁の為手(して)であったらしく,金春の座名はその芸名に由来するとみられる。

 金春権守の孫が中興の祖といわれた57世金春氏信(金春禅竹。氏安より30代とみずから記す)で岳父世阿弥の指導を受け,その芸論を継承しつつ,さらに歌道,仏教,宿神(しゆくしん)信仰等によって独自の論を展開,《小塩(おしお)》《定家》《芭蕉》など能作にも名を残した。禅竹の子七郎元氏(宗筠(そういん)。1432-80)も父に劣らぬ名手で,一条兼良の愛顧を受け,応仁の乱前後に活躍したが,1480年(文明12)に急逝したため,子の八郎元安(金春禅鳳(ぜんぽう))が27歳で大夫を継ぎ,父祖同様,奈良を中心に活動を続け,将軍足利義政・義尚の後援でときめく観世に対抗,40代に京都進出の機会を得,1505年(永正2)粟田口勧進能を興行し盛名を馳せた。《反古裏之書(ほごうらのしよ)》ほか当時の演能の実態を示す伝書を著し,《嵐山》《一角仙人》など異色の作品も残している。

 織豊期から江戸初期にかけて,60世氏照(宗瑞),61世喜勝(岌蓮(ぎゆうれん)),62世安照(禅曲。1549-1621)と名手が続出し,とくに安照は地味で古風な芸風を守り,能の本質と演技,演者のあり方の問題に正面から取り組み,独自の能楽論書を著した。岌蓮の弟子で素人ながら四座の大夫をしのぐ活躍を見せた本願寺の坊官下間少進しもつましようしん)は《童舞抄(とうぶしよう)》《舞台之図》などの伝書・型付を著し,その演能記録《能之留帳》は当時の能界の様相を具体的に伝える好資料である。また車屋本(くるまやぼん)の書写・刊行で名高い鳥養宗晰(とりかいそうせつ)の功績もあり,金春座は名手の輩出と,金春流の能に打ち込んだ豊臣秀吉の絶大な庇護のもとで繁栄し他座を圧した。江戸時代に入ってからは,四座の筆頭とされた観世座や新興流派の喜多流などに押され気味で,流勢はあまりふるわぬまま明治になり現在に至っている。ことに江戸初期の大夫65世元信(即夢。1626-1703)は我が強く,秘曲《関寺小町》を生涯に11回も演ずるなど芸道を軽んじたため,金春流衰微の因をなしたようである。ただ,1681年(天和1),86年(貞享3)に出版された謡本(六徳本)は,強吟(つよぎん)・弱吟(よわぎん)を記した最初の版行謡本で,この出版には元信が関与したらしい。金春家は奈良に領地をもち,幕末には知行所に通用の〈金春札(こんぱるさつ)〉と呼ばれる銀札(私製の紙幣)の発行を許されている。

 金春座には,禅竹以前から存在していた大蔵大夫をはじめ,宮王(みやおう)大夫,春日(しゆんにち)大夫などの傍流があったが,金春安照の三男氏紀が名跡を継いだ大蔵大夫(大蔵庄左衛門家)以外は,江戸時代以前に絶えた。分家に,安照の二男安喜から出て尾張徳川家に仕えた金春八左衛門家,安照の孫の安信から出て加賀前田家に仕え,禁裏の能も務めた竹田権兵衛家,伊達家に仕えた前記大蔵家があって流儀を支えたが,明治維新でみな断絶した。明治維新時の大夫74世広成(1830-96)はその手腕を発揮して混乱期に対処し,1881年上京,同じく熊本から上京した桜間伴馬(ばんま)とともに金春流の健在を示した。桜間家は熊本の藤崎神社奉仕の旧家で細川藩に仕えた。技をうたわれた伴馬は宝生九郎,梅若実とともに明治の三名人と称された。その子の金太郎(桜間弓川(きゆうせん))も父の衣鉢を継ぎ,一門を率いて奮闘した。現家元79世金春信高(のぶたか)(1920- )は,父の78世光太郎(八条)や叔父の77世栄治郎らと奈良に住んでいたが,1956年,東京に移住した。流儀の地盤は東京,奈良,熊本,名古屋などで,流勢は盛んとはいえない。芸風は,謡も型も古い様式を各所に残し,最も古風な流派といえるが,一面,時流と相いれない点がないでもない。所演曲は江戸初期以降明治までが130曲,大正期でも153曲と5流中最も少ない。他流が人気曲や秘曲とする《姨捨》《砧》《大原御幸》などが所演曲に含まれていなかったが,近年,信高によって復曲されつつあり,現行曲は163曲である。1983年現在,能楽協会には約90名の役者が登録されている。

 (2)能の太鼓方の流派名。惣右衛門流ともいう。金春禅竹の伯父にあたる金春三郎豊氏(観阿。?-1458)を流祖とし,2世弥次郎勝国(善徳)は観阿の甥で《吉備津宮》の作者。子の3世弥次郎勝氏(善珍)は幼少時に父と死別したが,挿話の多い名手で,派手な芸風だったらしい。4世彦九郎氏重(常春。善珍の子)は金春禅鳳・氏照のころに活躍し,権守に補任された名人。5世彦三郎長詰(宗意)が川井惣右衛門と改名,子の6世惣右衛門一峰(宗岸)が徳川家康に召し出され,以後,惣右衛門流と名のることが多く,江戸時代は主として金春座の座付だった。現家元の22世金春惣右衛門国長(1924- )は増見家(熊本の役者)から入って1916年に家元を継いだ国泰(1897-1942)の子。83年現在,能楽協会には重要無形文化財各個指定(人間国宝)の柿本豊次(1893-1989)ほか約20名が登録されている。芸風は,もとは武骨な激しい流風だったらしいが,艶のある繊細な芸風の先代21世惣右衛門の改革で柔らかみが加わり,桴(ばち)扱いも近代風の軽快なものになったといわれる。観世流太鼓に比べ,にぎやかなことが特色で,譜,掛声,桴扱いなどにもその風が見られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金春流」の意味・わかりやすい解説

金春流
こんぱるりゅう

(1)能の一流派。シテ方五流のうち、もっとも古いとされる。鎌倉時代から興福寺に属した円満井座(えんまいざ)(竹田座)の後の名。伝承では聖徳太子時代の秦河勝(はたのかわかつ)を初世と数えているが、南北朝の毘沙王権守(びしゃおうごんのかみ)を流祖と考えるのが普通である。代々童名を金春と名のったのが流名になったという。毘沙王の子光太郎(みつたろう)が鬼の能を得意としたことが世阿弥(ぜあみ)の遺著にみえる。毘沙王の曽孫(そうそん)で、独自の芸術論と作品で知られる金春禅竹(ぜんちく)、その孫禅鳳(ぜんぽう)が名高い。安土(あづち)桃山時代には宗瑞(そうずい)、岌蓮(ぎゅうれん)、禅曲や、素人(しろうと)であるが『童舞(どうぶ)抄』ほかの伝書を残した下間小進(しもつましょうしん)らの名手が現れ、豊臣(とよとみ)秀吉が金春流を学んで全盛を誇った。しかし徳川幕府に属した江戸時代以降は振るわず、守勢にたったまま今日に至っている。奈良の金春家は、金春札(さつ)とよぶ銀札を発行するほどの力をもっていたが、明治維新のおりの金融パニックで没落した。明治になって桜間左陣(さくらまさじん)(伴馬(ばんま))が熊本から上京してたちまち明治三名人に名を連ね、その子桜間弓川(きゅうせん)(金太郎)も名手の誉れが高かった。現在は、桜間道雄(弓川の従弟(いとこ))、本田秀男、高瀬寿美之、野村保、梅村平史朗、桜間竜馬(金太郎)ら桜間一門は多くを失った。79世宗家金春信高(のぶたか)(1920―2010)は特異の芸風をうたわれた金春光太郎(八条)の子で、奈良から東京に居を移した。安明(やすあき)(1952― )は信高の長男。2006年(平成18)80世宗家となる。奈良には八条の弟の金春栄治郎の孫穂高(ほだか)、信高の弟の欣三(きんぞう)がある。流風は古風を残し、素朴、雄大である。機関誌『金春月報』をもつ。なお金春流には別家として金春八左衛門家、竹田権兵衛家、大蔵庄左衛門(しょうざえもん)家があったが、断絶した。

(2)能楽太鼓の流派。金春惣右衛門(そうえもん)流ともいう。金春禅竹の叔父にあたる竹田三郎を流祖とする。明治ごろ断絶したが、増見仙太郎の子林太郎が宗家を再興した。その子、惣右衛門(1924―2014)は22世。前名惣一。1992年(平成4)重要無形文化財保持者の認定を受けている。

[増田正造]

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百科事典マイペディア 「金春流」の意味・わかりやすい解説

金春流【こんぱるりゅう】

(1)能のシテ方五流のうち最も古い流派。鎌倉時代から興福寺,春日神社に属した円満井(えまい)座(竹田座)の末流。豊臣秀吉が金春流を学んだため全盛を誇ったが,江戸時代以降は振るわない。芸風は大様で古雅の風を残す。金春禅竹金春禅鳳桜間伴馬桜間弓川桜間道雄らが有名。現在は79世宗家を称する金春信高〔1920-2010〕を中心に,東京,奈良を地盤とする。(2)能の囃子方の流派。太鼓方。現宗家は22世金春惣右衛門〔1924-2014〕。1992年人間国宝。ほかに1968年に人間国宝となった柿本豊次〔1893-1989〕がいた。
→関連項目大蔵流喜多流金春信高下掛り囃子方大和猿楽

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「金春流」の解説

金春流
こんぱるりゅう

(1)能のシテ方の一流儀。大和猿楽四座の一つ,円満井(えんまんい)座の流れをくむ。秦河勝(はたのかわかつ)を遠祖と伝えるが,南北朝期以前は不明。座名は観阿弥と同代の座の棟梁,金春権守(ごんのかみ)に由来するか。権守の孫で世阿弥の女婿の金春禅竹(ぜんちく)は,「定家(ていか)」「杜若(かきつばた)」などの作能や能楽論もよくし,独自の領域を開拓。禅竹の子宗筠(そういん)は,一条兼良(かねよし)や一休宗純との交流が知られる。その子禅鳳(ぜんぽう)は足利義政・同義尚らの後援を得,15世紀初頭は観世座に比肩する活況を呈した。以後も氏照・喜勝(よしかつ)・安照(やすてる)(禅曲)と歴代名手が輩出し,豊臣秀吉・徳川家康の後援を得て隆盛は他座をしのいだ。分家に八左衛門家(名古屋藩),竹田権兵衛家(金沢藩),大蔵庄左衛門家(仙台藩)があったが幕末に断絶。(2)能の太鼓方の一流儀。禅竹の伯父三郎豊氏が流祖。惣右衛門流ともいう。江戸時代は金春座付。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金春流」の意味・わかりやすい解説

金春流
こんぱるりゅう

能のシテ方の流派。五流のうち最古といわれる。大和猿楽の円満井座また竹田座の末。系図では秦河勝を祖とするが毘沙王権守 (南北朝) 以前は未詳。金春は毘沙王の童名。室町時代に毘沙王の曾孫禅竹,その孫禅鳳がおり,安土桃山時代は宗瑞,岌蓮,禅曲,下間 (しもつま) 少進がいた。豊臣秀吉,秀次が金春流を学び,一時全盛をきわめたが江戸時代以降ふるわず,明治に桜間左陣 (伴馬) が名人といわれ,その子桜間弓川 (金太郎) も大正・昭和の能を代表する名手であった。謡も型も古雅素朴。

金春流
こんぱるりゅう

能の太鼓方の流派。金春惣右衛門流ともいう。金春禅竹の伯父金春三郎豊氏 (?~1458) を流祖とし,その5世彦三郎長詰がのちに惣右衛門を名のったところから惣右衛門の名を代々継ぎ,金春惣右衛門流と称した。明治の 19世泰三以降は一時家名が断絶したが,芸を預っていた増見仙太郎の長男林太郎が 1916年に金春家を再興し,のち 21世金春惣右衛門を継いだ。

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世界大百科事典(旧版)内の金春流の言及

【能】より

… 南北朝時代には,諸国の猿楽座の中で大和猿楽近江猿楽が際立つ存在だった。大和猿楽の中心は興福寺支配の4座,すなわち円満井(えんまい),坂戸,外山(とび),結崎(ゆうざき)の座で,これが後に金春(こんぱる)座(金春流),金剛座(金剛流),宝生座(宝生流),観世座(観世流)と呼ばれるようになる。結崎座を率いる観世という名の役者(後の観阿弥)は,技芸抜群のうえくふうに富み,将軍足利義満の愛顧を得て京都に進出し,座勢を大いに伸ばした。…

【大和猿楽】より

…秀吉は宇治猿楽や丹波猿楽の役者を大和猿楽四座にツレ囃子方として所属させたため,それらの諸座は解体の運命をたどり,結果的に大和猿楽のみが命脈を保つこととなったが,江戸幕府も秀吉の政策を継承し,四座の役者に知行・扶持・配当米を与えて保護した。この四座に江戸初期に一流樹立が認められた喜多流を加えた四座一流が幕府保護の猿楽で,それが今日の五流(観世流宝生流金春流金剛流,喜多流)のもととなった。【天野 文雄】。…

※「金春流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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