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金春流 こんぱるりゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金春流
こんぱるりゅう

能のシテ方流派。五流のうち最古といわれる。大和猿楽円満井座また竹田座の末。系図では秦河勝を祖とするが毘沙王権守 (南北朝) 以前は未詳。金春は毘沙王の童名室町時代に毘沙王の曾孫禅竹,その孫禅鳳がおり,安土桃山時代宗瑞,岌蓮,禅曲,下間 (しもつま) 少進がいた。豊臣秀吉,秀次が金春流を学び,一時全盛をきわめたが江戸時代以降ふるわず,明治に桜間左陣 (伴馬) が名人といわれ,その子桜間弓川 (金太郎) も大正・昭和の能を代表する名手であった。謡も型も古雅素朴。

金春流
こんぱるりゅう

能の太鼓方の流派。金春惣右衛門流ともいう。金春禅竹の伯父金春三郎豊氏 (?~1458) を流祖とし,その5世彦三郎長詰がのちに惣右衛門を名のったところから惣右衛門の名を代々継ぎ,金春惣右衛門流と称した。明治の 19世泰三以降は一時家名が断絶したが,芸を預っていた増見仙太郎の長男林太郎が 1916年に金春家を再興し,のち 21世金春惣右衛門を継いだ。

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デジタル大辞泉の解説

こんぱる‐りゅう〔‐リウ〕【金春流/今春流】

能のシテ方の流派の一。大和猿楽円満井(えんまんい)座の流れで、幕末までは金春座といった。飛鳥時代秦河勝(はたのかわかつ)遠祖とするが、金春禅竹のころ流風が確立、桃山時代に全盛を極めた。
能の太鼓方の流派の一。禅竹の叔父、金春三郎豊氏を流祖とする。5世以後、金春惣右衛門流または惣右衛門流ともいう。

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百科事典マイペディアの解説

金春流【こんぱるりゅう】

(1)能のシテ方五流のうち最も古い流派。鎌倉時代から興福寺,春日神社に属した円満井(えまい)座(竹田座)の末流。豊臣秀吉が金春流を学んだため全盛を誇ったが,江戸時代以降は振るわない。
→関連項目大蔵流喜多流金春信高下掛り囃子方大和猿楽

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世界大百科事典 第2版の解説

こんぱるりゅう【金春流】

(1)能のシテ方の流派名。かつて竹田郷と呼ばれた奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町西竹田付近を本拠とし,鎌倉時代から初瀬寺に属し,のち春日神社・興福寺に勤仕した円満井座(えんまんいざ∥えまいざ)ののちの名で,大和猿楽四座のうちで最も歴史が古い。竹田の座ともいった。系図では聖徳太子時代の秦河勝(はたのかわかつ)を遠祖とし,現家元まで79代を数えるが,猿楽の家としては,南北朝時代の毘沙王権守(びしやおうごんのかみ)(河勝より53世)あたりを流祖とみてよいであろう。

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大辞林 第三版の解説

こんぱるりゅう【金春流】

能のシテ方の五流の一。五流中最古で、金春禅竹を中興の祖とする。明治以降の名手として、金春広成・桜間左陣・桜間弓川きゆうせんなどがいる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金春流
こんぱるりゅう

(1)能の一流派。シテ方五流のうち、もっとも古いとされる。鎌倉時代から興福寺に属した円満井座(えんまいざ)(竹田座)の後の名。伝承では聖徳太子時代の秦河勝(はたのかわかつ)を初世と数えているが、南北朝の毘沙王権守(びしゃおうごんのかみ)を流祖と考えるのが普通である。代々童名を金春と名のったのが流名になったという。毘沙王の子光太郎(みつたろう)が鬼の能を得意としたことが世阿弥(ぜあみ)の遺著にみえる。毘沙王の曽孫(そうそん)で、独自の芸術論と作品で知られる金春禅竹(ぜんちく)、その孫禅鳳(ぜんぽう)が名高い。安土(あづち)桃山時代には宗瑞(そうずい)、岌蓮(ぎゅうれん)、禅曲や、素人(しろうと)であるが『童舞(どうぶ)抄』ほかの伝書を残した下間小進(しもつましょうしん)らの名手が現れ、豊臣(とよとみ)秀吉が金春流を学んで全盛を誇った。しかし徳川幕府に属した江戸時代以降は振るわず、守勢にたったまま今日に至っている。奈良の金春家は、金春札(さつ)とよぶ銀札を発行するほどの力をもっていたが、明治維新のおりの金融パニックで没落した。明治になって桜間左陣(さくらまさじん)(伴馬(ばんま))が熊本から上京してたちまち明治三名人に名を連ね、その子桜間弓川(きゅうせん)(金太郎)も名手の誉れが高かった。現在は、桜間道雄(弓川の従弟(いとこ))、本田秀男、高瀬寿美之、野村保、梅村平史朗、桜間竜馬(金太郎)ら桜間一門は多くを失った。79世宗家金春信高(のぶたか)(1920―2010)は特異の芸風をうたわれた金春光太郎(八条)の子で、奈良から東京に居を移した。安明(やすあき)(1952― )は信高の長男。2006年(平成18)80世宗家となる。奈良には八条の弟の金春栄治郎の孫穂高(ほだか)、信高の弟の欣三(きんぞう)がある。流風は古風を残し、素朴、雄大である。機関誌『金春月報』をもつ。なお金春流には別家として金春八左衛門家、竹田権兵衛家、大蔵庄左衛門(しょうざえもん)家があったが、断絶した。
(2)能楽太鼓の流派。金春惣右衛門(そうえもん)流ともいう。金春禅竹の叔父にあたる竹田三郎を流祖とする。明治ごろ断絶したが、増見仙太郎の子林太郎が宗家を再興した。その子、惣右衛門(1924―2014)は22世。前名惣一。1992年(平成4)重要無形文化財保持者の認定を受けている。[増田正造]

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世界大百科事典内の金春流の言及

【能】より

… 南北朝時代には,諸国の猿楽座の中で大和猿楽近江猿楽が際立つ存在だった。大和猿楽の中心は興福寺支配の4座,すなわち円満井(えんまい),坂戸,外山(とび),結崎(ゆうざき)の座で,これが後に金春(こんぱる)座(金春流),金剛座(金剛流),宝生座(宝生流),観世座(観世流)と呼ばれるようになる。結崎座を率いる観世という名の役者(後の観阿弥)は,技芸抜群のうえくふうに富み,将軍足利義満の愛顧を得て京都に進出し,座勢を大いに伸ばした。…

【大和猿楽】より

…秀吉は宇治猿楽や丹波猿楽の役者を大和猿楽四座にツレ囃子方として所属させたため,それらの諸座は解体の運命をたどり,結果的に大和猿楽のみが命脈を保つこととなったが,江戸幕府も秀吉の政策を継承し,四座の役者に知行・扶持・配当米を与えて保護した。この四座に江戸初期に一流樹立が認められた喜多流を加えた四座一流が幕府保護の猿楽で,それが今日の五流(観世流宝生流金春流金剛流,喜多流)のもととなった。【天野 文雄】。…

※「金春流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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