能の曲名。二番目物。修羅物。作者不明。前ジテは青墓の宿(しゆく)の長(ちよう)。後ジテは源朝長の霊。朝長に縁の深い僧(ワキ)が,その死を弔うために美濃の青墓に赴くと,墓前で中年の女(前ジテ)を見かける。女は青墓の宿の長で,朝長を弔いに来ているのだといい,その死をしみじみと物語る。それは,平治の乱の敗戦で東国に落ちのびてきた源義朝の一行を,長は自分の家に泊めたが,重傷の次男朝長は父たちのことを考えて夜中に自害し,短い生涯を終えたといい(〈語り・上歌(あげうた)等〉),僧を自分の家に伴う。僧が観音懺法(かんのんせんぼう)の法要を勤めると,夜半に朝長の霊(後ジテ)が昔の姿で現れる。朝長は,兄義平や弟頼朝が敵に捕らえられ,父の義朝は家臣の長田(おさだ)に討たれるなど一門が不運をたどるなかで,青墓の宿の長が自分たちを親身に世話し,死後の弔いまで続けてくれていることに感謝し(〈クセ〉),今の修羅道の苦しみや,最後の戦いで膝を射られて重い手傷を負ったことなどを物語る(〈ロンギ・中ノリ地〉)。前ジテを現実の人物とする修羅物はこの曲だけである。若武者の死に立ち会った女性が,あまり日を経ない時点でそのことを物語るという点に特色があり,哀傷の思いが強く迫る能である。なお,この能の小書(こがき)の一つ〈懺法(せんぼう)〉は重い習物で,とくに太鼓方はにぶい低音の独得の音色に調えた太鼓を用い,秘事とされる。
執筆者:横道 万里雄
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能の曲目。二番目・修羅(しゅら)物。五流現行曲。観世元雅(かんぜもとまさ)作とも。出典は『平治(へいじ)物語』の「義朝(よしとも)青墓(あおはか)に落ち着く事」。平治の乱で平清盛(きよもり)に敗れ、落武者となった源義朝父子。義朝の第二子朝長は膝(ひざ)の負傷のため父の手にかかるが、能では自害として描いている。朝長の養育係だった男(ワキ)が、僧に身をやつして美濃(みの)国青墓にやってくる。親子をかくまい、朝長の最期をみとった青墓の長者(遊女宿の女将(おかみ)。前シテ)とその僧が朝長の墓前で出会い、長者は朝長の悲痛な死を語り、わが家へ僧を導く。弔いに引かれて朝長の霊(後(のち)シテ)が現れ、敗戦の模様と修羅道に落ちたありさまを語り、回向(えこう)を願って消える。前シテが庇護(ひご)者であり悲劇の目撃者である年輩の女性、後シテは運命に死ぬ年少の武者、この対比がむずかしく、『実盛(さねもり)』『頼政(よりまさ)』とともに三修羅とよばれ、重い能とされる。とりわけ観音懺法(かんのんせんぽう)の仏事を模した「懺法」の演出は、常とは違う低い調子で演奏される太鼓の役の秘事となり、諸役ともに重い習いである。
[増田正造]
…真言系には懺法はないが,《金剛界礼懺(れいさん)》《胎蔵界礼懺》がこれに相当すると考えられる。(2)能《朝長(ともなが)》の小書(こがき)(変型演出の名)。後ジテ源朝長の霊の出の囃子事(はやしごと)は,通常は〈出端(では)〉だが,それをまったく別の〈懺法〉に変える。…
※「朝長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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