桜井寺(読み)さくらいでら

精選版 日本国語大辞典 「桜井寺」の意味・読み・例文・類語

さくらい‐でら さくらゐ‥【桜井寺】

奈良県高市郡明日香村豊浦にある浄土真宗本願寺派の寺、向原寺通称豊浦寺(とゆらでら)。むくはらでら。広厳寺。小墾田寺(おはりだでら)

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日本歴史地名大系 「桜井寺」の解説

桜井寺
さくらいじ

[現在地名]額田町桜井寺 本郷

おと川右岸、北東渓流に沿って登る。「三河志」に「山に倚て板橋あり、朱門あり、門に入れば石灯数百組を拾うて、上頭平なる所にいたれば、殿宇参差視望古色多し」と江戸期の景観を記す。寺伝では弘仁四年(八一三)に空海開基と伝え、真言宗高野山平等院末で花園山と号し、本尊は空海自画の肖像であった(岡崎市史)。天正一一年(一五八三)堂宇坊が全焼し、寛永三年(一六二六)より法印海盛が在住して中興。今川義元・同氏真・徳川家康などの白山先達に関する安堵状が残る。天文一九年(一五五〇)の義元安堵状に

<資料は省略されています>

とあり白山先達関係文書(桜井寺蔵)では最も古い。

桜井寺
さくらいじ

[現在地名]五條市須恵一丁目

須恵すえの南西部にある。浄土宗で潤生山と号し、本尊は阿弥陀如来。慶長九年(一六〇四)縁起によれば、天慶五年(九四二)桜井康成によって創建されたが、正長元年(一四二八)に兵火にあい焼失、のち天文二二年(一五五三)郡司平茂知ならびに上総別所知興が堂宇を再建、この時新たに鐘を鋳造したという。「大和志」には「在須恵村、昔為統神宮寺、有鐘、鐫曰、天文二十二年鋳、傍有清泉、名桜井」とある。文久三年(一八六三)八月の天誅組挙兵の際本陣となり、五条御政府ないし五条御役所と称した。この史実から当寺は明治維新発祥の地といわれている。旧本堂は昭和四〇年(一九六五)神奈川県箱根はこね山中に移されたが、寺内には代官鈴木源内ら五人の首をのせたと伝える石の水鉢があり、門前に「史蹟天誅組本陣址」の石標が立っている。

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デジタル大辞泉プラス 「桜井寺」の解説

桜井寺

奈良県五條市にある寺院。浄土宗。山号は潤生山。天慶年間の創建と伝わる。本尊は阿弥陀如来。江戸末期、尊皇攘夷派の天誅組が本陣を置いた地として知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の桜井寺の言及

【五条[市]】より

…吉野川のいかだ流しによる木材の集散地であった五条では製材業や割りばしの生産が盛んで,後背山地では富有柿の特産がある。吉野川の音無淵右岸の栄山寺には国宝の八角円堂があり,市中には天誅組挙兵の際本陣となった桜井寺がある。【橋本 征治】。…

※「桜井寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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