梅沢浜夫(読み)ウメザワハマオ

デジタル大辞泉 「梅沢浜夫」の意味・読み・例文・類語

うめざわ‐はまお〔うめざははまを〕【梅沢浜夫】

[1914~1986]微生物化学者。福井の生まれ。東大教授。ザルコマイシンカナマイシンなど抗生物質を多数発見文化勲章受章。

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精選版 日本国語大辞典 「梅沢浜夫」の意味・読み・例文・類語

うめざわ‐はまお【梅沢浜夫】

  1. 生化学者。福井県出身。東京帝国大学医学部卒。ザルコマイシン、カナマイシンなど約五〇種の新抗生物質を発見。カナマイシンの結晶化成功した。大正三~昭和六一年(一九一四‐八六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梅沢浜夫」の意味・わかりやすい解説

梅沢浜夫
うめざわはまお
(1914―1986)

微生物化学者。カナマイシンの発見をはじめとする抗生物質の研究、開発では日本を代表する世界的存在。福井県小浜市で、病院長の純一を父に生まれる。東京帝国大学医学部を1937年(昭和12)卒業。第二次世界大戦末期の1944年2月につくられた陸軍軍医学校長三木良英(みきよしひで)(1887―1970)の主宰するペニシリンの開発研究組織(後の碧素委員会(へきそいいんかい))に参加、同年10月藤原工業大学(現、慶応義塾大学工学部)助教授長兄純夫(すみお)(1909―2000)とともに日本で初めてペニシリンの分離に成功した。この経験を基礎に、戦後GHQ(連合国最高司令部)の技術指導もあり、日本の抗生物質研究を終始リードし、世界的水準にまで引き上げた。1957年(昭和32)に発表されたカナマイシンをはじめ、ジョサマイシン(1965)、イネのいもち病にきくカスガマイシン(1964)など多数の抗生物質を開発した。ザルコマイシン(1953)、ブレオマイシン(1966)など抗生物質を制癌剤(せいがんざい)として利用する方法を創始した功績も評価される。1959年度朝日文化賞、1962年日本学士院賞、同年フランス政府から衛生保健文化賞、同年文化勲章、1971年藤原賞、1980年旧西ドイツのエーリッヒ賞などを受賞。1962年カナマイシンの特許料で財団法人微生物化学研究所を設立、その所長となった。6人兄弟のうち5人が博士号をもつ学者一家である。

[梅田敏郎]

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20世紀日本人名事典 「梅沢浜夫」の解説

梅沢 浜夫
ウメザワ ハマオ

昭和期の細菌学者,生化学者 東京大学名誉教授;微生物化学研究所長。



生年
大正3(1914)年10月1日

没年
昭和61(1986)年12月25日

出生地
福井県小浜市

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部医学科〔昭和12年〕卒業

学位〔年〕
医学博士(東京帝国大学)〔昭和20年〕

主な受賞名〔年〕
朝日賞(昭33年度)〔昭和34年〕,科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰〔昭和34年〕,文化勲章〔昭和37年〕,日本学士院賞〔昭和37年〕,藤原賞〔昭和46年〕,高松宮妃癌研究基金学術賞〔昭和51年〕,パウル・エーリッヒ賞〔昭和55年〕,グリッフェル賞〔昭和56年〕,勲一等瑞宝章〔昭和61年〕

経歴
昭和19年東京帝国大学助教授、東京帝国大学伝染病研究所所員、22年国立予防衛生研究所抗生物質部長、29年東京大学応用微生物研究所教授兼任、37年微生物化学研究所所長を歴任。戦争末期、わずかな外国文献を頼りにペニシリン分離に成功。戦後は日本の抗生物質研究を世界的水準に高めた貢献者。32年カナマイシンを発見。抗生物質研究の方法論を確立、制ガン剤開発への方向づけなど、その独創性は高く評価された。37年文化勲章受章。著書に「抗生物質の話」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「梅沢浜夫」の意味・わかりやすい解説

梅沢浜夫 (うめざわはまお)
生没年:1914-86(大正3-昭和61)

細菌学者,抗生物質開発・研究の第一人者。福井県生れ。東大卒。国立予防衛生研究所部長,東大教授,微生物化学研究所長を歴任。第2次大戦末期,長兄の純夫らとともにペニシリンの分離に成功したのをはじめ,カナマイシン,ブレオマイシンなど多数の新抗生物質,および酵素阻害物質の発見をなした。ことに制癌剤の分野で新境地を開き,免疫修飾物質の研究に及んだ。1962年文化勲章受章。学士院会員。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅沢浜夫」の解説

梅沢浜夫 うめざわ-はまお

1914-1986 昭和時代の微生物学者。
大正3年10月1日生まれ。昭和19年兄梅沢純夫らと日本ではじめてペニシリンの分離に成功,結核治療薬カナマイシン,制がん剤ブレオマイシンなどの抗生物質を発見した。国立予防衛生研究所部長,東大教授。微生物化学研究所を設立して所長。37年学士院賞,文化勲章。昭和61年12月25日死去。72歳。福井県出身。東京帝大卒。著作に「抗生物質の話」など。

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367日誕生日大事典 「梅沢浜夫」の解説

梅沢 浜夫 (うめざわ はまお)

生年月日:1914年10月1日
昭和時代の細菌学者;生化学者。東京大学教授;微生物化学研究所長
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の梅沢浜夫の言及

【カナマイシン】より

…(化学式)1957年梅沢浜夫が長野県の土壌中の放線菌Streptomyces kanamyceticusの培養液から分離し命名した,ストレプトマイシンと同じアミノ配糖体に属する抗生物質。日本薬局方名は硫酸カナマイシンC18H36N4O11xH2SO4。…

【抗生物質】より

…それ以降,いっそうすぐれた抗生物質を得る方法として,抗生物質の半合成は,リファマイシン類,テトラサイクリン類,アミノ配糖体,マクロライド抗生物質類その他に広く用いられ成果をあげている。梅沢浜夫は,ストレプトマイシン耐性結核菌に有効なカナマイシンを発見したが,カナマイシン耐性機構の研究から,リン酸転移酵素やアセチル化酵素などによる不活化機構を見いだし,これらの酵素の作用を受けないジベカシンの合成に成功した。耐性機構に基づいて有効な物質を得る方法論を築いたといえる。…

【制癌薬】より

…造血器への副作用は比較的大きい。ブレオマイシンは66年梅沢浜夫らが放線菌の1種から分離したもので,皮膚癌などの扁平上皮癌の治療に利用されている。間質性肺炎,肺繊維症などの副作用が知られている。…

※「梅沢浜夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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