外界の事物を心ないし意識が模写・模像・反映すると説く認識論上の立場の一つで,訳語としては大正期以降のものである。デモクリトスやエピクロスは,事物から流出する微小な〈像eidōlon〉が感覚器官に入りこみ,心を刺激して知覚が生じると説き,プラトンは心は〈本〉に似ており,感覚や記憶によって受け入れられ心に書きつけられたことの〈似姿eikōn〉を,知性がもう一度心に画き直すとした。スコラ哲学以来,〈鏡〉に映じた像から実物・現物へとさかのぼる思弁が始まり,13世紀以後,心を〈やすりをかけられた板(タブラ・ラサtabula rasa)〉とみなす考えが起こる。一般に,心は鏡が事物を映すように,平らな板に字が書かれるように,蠟に印形が刻印されるように,事物を模写し模像し,この模写ないし模像が事物の認識に当たると説くのが模写説であり,常識ないし素朴実在論の認識理論に当たる。この場合,心は受動的に事物のありのままを映し出すという前提があるが,映像・写像と実物とを見比べる心が鏡の外にあることになり,無限後退に陥る。この難点を救うために,心は積極的に実践を介して事物の実在性に漸近しこれを反映しうると説く反映論が登場することになる。しかし模写・模像・反映と実物・現物・対象との区別は,どこまでも残るのである。
執筆者:茅野 良男
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認識とは、認識する意識が、その外部にある現実を模写し、鏡が物を映すように反映することだという考え方。デモクリトスに始まるとされる。
近代の模写説は一般に、(1)真理は実在と観念との一致である(真理観における対応説)、(2)認識対象となる実在が、認識主観から独立に存在する(唯物論)、(3)認識主観は、本来いかなる認識内容をももたない(タブラ・ラサ=白紙)、(4)あらかじめ感覚の内になかったものは悟性の内にもない(感覚主義)、(5)認識主観は、認識そのものにおいて受動的態度をとる(構成主義の否定)、(6)客観的実在そのものが一定の形式と自己統一をもつ(実在論)、という前提から成り立つ。レーニンの「物質とは人間にその感覚において与えられており、われわれの感覚から独立して存在しながら、われわれの感覚によって模写され、摂映され、反映される客観的実在である」という考えはその代表例である。今日、模写説をそのまま主張する立場は、ロシア・マルクス主義を除いて、ほとんどない。
[加藤尚武]
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…このように,〈主観〉とほとんど相おおう意味での意識を考えるならば,問題になるのは何と言っても対象との関係である。伝統的に模写説と構成説とが争われてきたのも,その点に関してである。しかし,刻々に変転する現象世界の中での対象の同一性とは,対象自体の性質ではなく対象に付与された一つの意味と考えるべきであろうから,意識を単純にある対象の反映と見ることはできない。…
… 最も初歩的な実在論は素朴実在論naive realismであり,われわれが知覚し経験するとおりにものが在り,ものの実在性は知覚し経験するとおりに把握されているとみなす。素朴実在論は,知覚や経験が鏡のようにものの実在性を模写し反映するという素朴な模写説を前提する。しかしものの主観にとっての見え方,現れ方から,ものそれ自身の在り方へと接近しなければならぬ。…
※「模写説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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