橋岡久太郎(読み)ハシオカキュウタロウ

デジタル大辞泉 「橋岡久太郎」の意味・読み・例文・類語

はしおか‐きゅうたろう〔はしをかキウタラウ〕【橋岡久太郎】

[1884~1963]能楽師シテ方観世流香川の生まれ。深い芸境に達し、名人とうたわれた。

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精選版 日本国語大辞典 「橋岡久太郎」の意味・読み・例文・類語

はしおか‐きゅうたろう【橋岡久太郎】

  1. 能楽師。シテ方。本姓乃村。香川県出身。観世華雪とともに観世流の双璧をなす。芸術院会員。能楽協会理事長。明治一七~昭和三八年(一八八四‐一九六三

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「橋岡久太郎」の解説

橋岡 久太郎
ハシオカ キュウタロウ


職業
能楽師(観世流シテ方)

肩書
日本芸術院会員〔昭和63年〕

旧名・旧姓
吉川,乃村

生年月日
明治17年 5月15日

出生地
香川県 高松市鶴屋町

経歴
吉川家に生まれ、幼い頃に乃村家の養子となる。明治31年大阪に出て乃村家の親戚である橋岡忠三郎に師事、32年橋岡に改姓して同家7世を継ぎ、同年「小鍛冶」で初シテ。34年上京、観世流23世宗家清廉の内弟子となる。41年独立。昭和2年東京・赤坂に橋岡舞台を建設したが、戦災により焼失(30年再建)。6代目観世華雪らと戦後の観世流を代表する名人とされ、同流興隆に力を注いだ。23年から日本能楽協会理事長を3期務めた。生涯、能の形式主義や権威主義に対し反骨精神を貫き、脱俗の風で知られる。非常な難声で、謡が聞こえぬほどであったが、独自のリズム感がすばらしく、晩年の「姨捨」は、宇宙が動くと評された。また京劇の名優・梅蘭芳とも親交があった。

受賞
日本芸術院賞〔昭和35年〕「菊慈童」「羽衣」 芸術祭賞〔昭和27年〕「阿漕」,芸術選奨(昭34年度)「猩々

没年月日
昭和38年 9月15日 (1963年)

家族
長男=橋岡 久馬(能楽師),二男=橋岡 慈観(能楽師)

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20世紀日本人名事典 「橋岡久太郎」の解説

橋岡 久太郎
ハシオカ キュウタロウ

明治〜昭和期の能楽師(観世流シテ方)



生年
明治17(1884)年5月15日

没年
昭和38(1963)年9月15日

出生地
香川県高松市鶴屋町

旧姓(旧名)
吉川,乃村

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和27年〕「阿漕」,芸術選奨(昭34年度)「猩々」,日本芸術院賞〔昭和35年〕「菊慈童」「羽衣」

経歴
吉川家に生まれ、幼い頃に乃村家の養子となる。明治31年大阪に出て乃村家の親戚である橋岡忠三郎に師事、32年橋岡に改姓して同家7世を継ぎ、同年「小鍛冶」で初シテ。34年上京、観世流23世宗家清廉の内弟子となる。41年独立。昭和2年東京・赤坂に橋岡舞台を建設したが、戦災により焼失(30年再建)。6代目観世華雪らと戦後の観世流を代表する名人とされ、同流興隆に力を注いだ。23年から日本能楽協会理事長を3期務めた。生涯、能の形式主義や権威主義に対し反骨精神を貫き、脱俗の風で知られる。非常な難声で、謡が聞こえぬほどであったが、独自のリズム感がすばらしく、晩年の「姨捨」は、宇宙が動くと評された。また京劇の名優・梅蘭芳とも親交があった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「橋岡久太郎」の意味・わかりやすい解説

橋岡久太郎 (はしおかきゅうたろう)
生没年:1884-1963(明治17-昭和38)

能楽師,観世流シテ方。本名乃村(のむら)久太郎。香川県高松市に生まれ,1899年大阪の観世流名家,橋岡雅雪の芸事後継者となり,1901年上京して23世宗家観世清廉(きよかど)に入門,内弟子となり,08年独立。難声の謡(うたい)ながら独特の研究心と精進により深い芸境を有し,2世梅若実観世華雪とならんで観世流を代表する名人と称揚された。24世宗家観世左近没後,幼少の25世観世元正(もとまさ)を補佐して一時芸事顧問を務めたこともあり,48年以後,3期にわたり能楽協会理事長の任にあった。63年日本芸術院会員となる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「橋岡久太郎」の意味・わかりやすい解説

橋岡久太郎
はしおかきゅうたろう
(1884―1963)

能の観世(かんぜ)流シテ方。香川県高松に生まれる。吉川孝次郎の次男。幼くして乃村(のむら)家に入り、橋岡忠三郎に望まれて芸系を継ぎ、23歳で観世清廉(きよかど)の内弟子に入る。生涯にわたり能の形式主義、権威主義に対し反骨精神を貫き、脱俗の風で知られ、そのいぶし銀のような内向性の演技の深さ、演出のセンスはずばぬけていた。非常な難声で、舞台の謡が聞こえぬほどであったが、リズム感には独自の主張があった。1963年(昭和38)芸術院会員。後継者に橋岡久馬(きゅうま)、橋岡久共(ひさとも)(慈観(じかん))があり、ともに独歩の芸風をもつ。

[増田正造]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋岡久太郎」の解説

橋岡久太郎 はしおか-きゅうたろう

1884-1963 明治-昭和時代の能楽師シテ方。
明治17年7月12日生まれ。31年大阪の観世流シテ方橋岡雅雪の芸の後継者となる。のち上京し23代宗家観世清廉(きよかど)にまなぶ。独立後,精進し2代梅若実,観世華雪とともに観世流の発展につくした。昭和36年芸術院賞。芸術院会員。昭和38年9月15日死去。79歳。香川県出身。旧姓は乃村。

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百科事典マイペディア 「橋岡久太郎」の意味・わかりやすい解説

橋岡久太郎【はしおかきゅうたろう】

能楽師。観世流シテ方。23世宗家観世清廉(きよかど)に師事し,脱俗的な独自の芸境に至った。1963年芸術院会員。橋岡久馬〔1923-2004〕はその長男。

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367日誕生日大事典 「橋岡久太郎」の解説

橋岡 久太郎 (はしおか きゅうたろう)

生年月日:1884年7月12日
明治時代-昭和時代の能楽師シテ方
1963年没

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