檜物荘(読み)ひもののしょう

百科事典マイペディアの解説

檜物荘【ひもののしょう】

近江国甲賀郡にあった荘園。現在の滋賀県甲西町・石部町(2町とも現・湖南市)の一帯にあたる。摂関家領,のち近衛家領として伝領されたが,京都最勝光院が本家職(のち京都東寺に寄進される),京都聖護(しょうご)院が領家職をもったほか,延暦(えんりゃく)寺西塔(さいとう)釈迦堂領や大慈院領などもみられた。1062年藤氏長者の春日祭参詣に際しての屯食(とんじき)の用意など摂関家との関係がうかがえるが,年中行事の天地四方拝での御手水桶杓を調達するなどの記事がみえ,杣工(そまだくみ)や檜物師(ひものし)が居住していたのであろう。1253年の近衛家所領目録では近衛家が荘務権をもって実質的な支配を行っていた。最勝光院領としては1325年に兵士役10人(4月分)を負担,聖護院宮には本年貢100石,餅140枚,綾被物(あやかつぎもの)2重などを納めることになっていた。南北朝期には上檜物荘・下檜物荘に分かれ,荘内の郷村が甲賀郡の常楽院・少菩提寺・長寿寺などの寺領とされている。しかし武家の進出もみられ,地頭青地氏らが最勝光院領を押領した事件(1346年−1370年頃),当荘をめぐる六角氏頼と仁木(にっき)義長の対立(1359年頃),足利義満による儀俄氏秀への下司田所(げしたどころ)職の安堵(1385年)などがあった。1558年から65年にかけて下檜物荘は野洲川の用水をめぐって石部三郷と相論になっている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ひもののしょう【檜物荘】

近江国甲賀郡(現,滋賀県甲賀郡甲西町一帯)の荘園。野洲(やす)川流域に位置する平安期からの摂関家領長櫃(ながびつ)・折敷(おしき)・杓樋など檜物も進納したところから,その名が出たらしい。1253年(建長5)の〈近衛家所領目録〉では,近衛家自身が所領支配の実質的な諸権限(荘務権)を握っているが,その後,地頭も設置された。他領入組みが多く,鎌倉末~室町期に,荘域内に最勝光院領,山門西塔釈迦堂領,大慈院領などが存在した。

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