日本大百科全書(ニッポニカ) 「正統論」の意味・わかりやすい解説
正統論
せいとうろん
国家権力の正当性の根拠を天命の授受に置く理論。秦(しん)、魏(ぎ)、五代は天命を受けた正しい王朝かという問題をめぐり、天下統一の政治的実力を認めるか、王朝樹立時の道徳性を重視するか否か、一大論争がなされた。欧陽修(おうようしゅう)は実力主義にたち魏や五代を正統としたが、朱子(しゅし)(朱熹(しゅき))は道徳性を重視してそれを閏統(じゅんとう)とし、以後朱子説が有力となった。中国では政治権力は本来善とみなされ、王朝成立時の道徳性と成立後の仁政(福祉政策)の実行がつねに問われたが、欧州では支配権力自体を悪魔的とみるので政権成立後の正しい秩序形成こそが正統性legitimacyの根拠とされる。
[三石善吉]
日本では、江戸時代に、朱子学の影響のもとに、正統論についての関心が高まり、とくに日本史上で同時に2人の天皇が存在した南北朝時代(1336~92)が、問題とされた。道徳上の正当性を基準とする朱子学の立場からすれば、中国での三国時代における魏と蜀漢(しょくかん)との関係が、足利(あしかが)氏ないし北朝と、南朝との関係に比定され、後者が正統とみなされるのは当然であって、実際にも水戸藩の『大日本史』や新井白石(あらいはくせき)の『読史余論』などでは、そのような見解がとられている。しかし現実には、当時の京都の朝廷は、北朝の系統で、北朝を正統としていたから、そこに矛盾が生じた。その矛盾を解消するために、『大日本史』の論賛では、道徳ではなく、三種の神器の所在によって正統を定めるという考え方が取り入れられた。このような形式的な事実を基準とする考え方は、朱子学の思想には反しているが、それがこの後の日本における正統論の主流をなすこととなった。
[尾藤正英]
『赤塚忠他編『中国文化叢書2 思想概論』(1968・大修館書店)』