改訂新版 世界大百科事典 「武氏祠」の意味・わかりやすい解説
武氏祠 (ぶしし)
Wǔ shì cí
中国,山東省嘉祥県城の南15km,武宅山の北麓にある後漢の豪族武氏一族の石祠群。画像石の一部は早く宋代の金石書に載せられていたが,その後黄河の氾濫により埋没していた。清の1786年(乾隆51)黄易により石碑,石闕(せつけつ),石獅子像と,武梁・前・後の3石室が,3年後李克成により左石室が掘り出され,塼築(せんちく)祠堂を建てて保存されてきた。石闕に刻まれた《武氏祠銘》には建和元年(146),武始公,綏宗,景興,開明らが孝養のため築いたことを記し,一群の石祠の製作年代がほぼ150年前後にあてられる。刻法は画像の周囲を掘りくぼめて画像を浮き上がらせ,細部を陰刻線で精細にあらわす。画題は有翼神人,雲竜などの祥瑞図,伏羲,祝融をはじめとする歴代帝王,孝子伝,烈女伝,刺客伝などの歴史故事,車馬出行,宴飲,楽舞,庖厨などの豪族居宅の生活場面などで,とりわけ武梁祠堂は画像につけた傍題が豊富で画像内容を明確にしているものが多い。祠堂建築の復原は,1941年にW.フェアバンク,81年に蔣英炬,呉文による復原案が発表されている。武梁石室は切妻平入り1間間口の小石祠。前石室はやはり切妻平入りであるが,孝堂山石祠と同様,中央に石柱をもつ2間間口で,さらに後壁中央に壁龕(へきがん)をもつ。ほかに左石室と後石室の画像を合わせて前石室と図形式の石祠1基が復原されている。
執筆者:秋山 進午
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報