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北海道東端の納沙布(のさつぷ)岬の北東方,色丹(しこたん)島との間に点在する島々。第2次大戦前は水晶諸島と呼ばれていた。南西から順に並ぶ水晶島,秋勇留(あきゆり)島,勇留島,志発(しぼつ)島および多楽島の5島と,多くの小島からなる。水晶島と納沙布岬の間の珸瑶瑁(ごようまい)水道は幅約7kmで,本土に最も近い貝殻島との間は約3kmにすぎない。上記5島はいずれも面積は狭く,最大の志発島が45km2,最小の秋勇留島が5km2である。いずれも地形は低平な海食台地で,標高は15m以下のところが大部分で,最高でも勇留島の44mである。各島とも海岸は漁船の係留可能な湾入に恵まれている。
戦前は根室支庁花咲郡歯舞村に含まれ,約4500人が居住していた。住民の大半は漁業に従事し,コンブ採取を中心にタラ,カニ,ホタテガイなどを漁獲していた。住民が最も多かった志発島にはカニ缶詰の工場もあった。農業は夏季の海霧,日照時間の短いことなどから野菜類が漁家の自給用として栽培されていたにすぎない。1945年ソ連軍に占領され,住民は全員本土に引き揚げ今日に至っている。
なお,北方領土問題については〈千島列島〉の項目を参照されたい。
執筆者:奥平 忠志
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…日本への渡来は約800年前とされ,その後,17~18世紀に再導入され,《大和本草》(1709)に〈おらんだな〉〈さんねんな〉などの記録がある。しかし,これは非結球性の観賞用のハボタンのことで,野菜としての利用ではなかった。結球性のキャベツが導入されたのは安政年間(1854‐60),本格的には明治に入ってからのことで,明治初年には北海道や東北地方など欧米の気候に似た地域への導入が盛んに行われた。…
※「歯舞諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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