ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グレーザー」の意味・わかりやすい解説
グレーザー
Glaser, Milton
[没]2020.6.26. ニューヨーク,ニューヨーク
ミルトン・グレーザー。アメリカ合衆国のグラフィックデザイナー,イラストレーター。グラフィックデザインに革命的な影響をもたらしたデザイン会社,プッシュピン・スタジオを共同設立したほか,実験的精神と新しい方向性の模索により驚くほど多彩なデザインを生みだした。1951年ニューヨークのクーパー・ユニオンを卒業し,1952~53年イタリアでジョルジョ・モランディに版画を学ぶ。1954年にシーモア・クワスト,レイノルド・ラフィンズ,エドワード・ソレルとともにプッシュピン・スタジオを設立。当時,写真やテレビが視覚情報の世界で幅をきかせ,写実的なイラストレーションはその地位を低下させていたが,グレーザーはまんが本やモダンアート,西欧以外のアートを参考に,グラフィックデザインに革新性を与え,コンセプチュアルなアプローチを試みた。またストーリー性を排除し,記号やシンボルとして機能する単純化されたイメージで対象物を表現した。1960年までにはタイポグラフィからトータルデザインまで幅広く手がけるようになり,ジュール・シェレやアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックなどフランスのアール・ヌーボー期のポスター作家の手法を取り入れ,一人のデザイナーがプロジェクトのコンセプト,ページレイアウト,レタリングなどすべてを担う仕組みをつくりあげた。代表例としてシンガーソングライター,ボブ・ディランのアルバム『グレイテスト・ヒッツ』(1967)に同梱されたポスターがあり,輪郭線と一律に塗られた色彩でかたちづくられたイメージは時代のカルチャーアイコンとなった。また自作の活字書体,ベビーティース Babyteethで書かれた「DYLAN」の綴りがポスターに記された。1968~76年クレイ・フェルカーと共同で『ニューヨーク・マガジン』を発行し,1975~77年には『ビレッジ・ボイス』の副社長兼デザインディレクターを務める。その後も,雑誌のアートディレクション,パッケージデザイン,企業のビジュアルイメージ,ファインアート,店舗・レストランのデザインなど活動の幅を広げた。2009年全米芸術勲章。グレーザーを追ったドキュメンタリー映画に "To Inform and Delight"(2008)がある。
グレーザー
Glaser, Donald A.
[没]2013.2.28. カリフォルニア,バークリー
アメリカ合衆国の物理学者。フルネーム Donald Arthur Glaser。ケース工科大学を卒業後,1949年カリフォルニア工科大学で博士号を取得。同 1949年からミシガン大学の教壇に立ち,1957~59年教授を務めた。同大学で素粒子の実験的研究を行ない,ウィルソンの霧箱の逆,すなわち液体の中に気泡の列をつくることを思いつき,1952年泡箱をつくった。1959年カリフォルニア大学バークリー校に移り,1964年物理学と分子生物学の教授に就任した。1960年,泡箱発明の功績により 34歳の若さでノーベル物理学賞を受賞した。
グレーザー
Glaeser, Ernst
[没]1963.2.8. マインツ
ドイツの小説家。社会批判小説を書く。処女作『1902年級』 Jahrgang1902 (1928) によって有名。 1933年スイスに亡命。『最後の市民』 Der letzte Zivilist (35) は 24ヵ国語に翻訳された。 39年には帰国して従軍。簡潔でスピーディな文体は新即物主義の典型とみなされる。戦後も多作。
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