明治政府は,1868年(明治1)の太政官札は1両以下の紙幣の発行量が少なく,民間での取引に不便であったために,1両以上の太政官札と引き換える目的で小額紙幣を発行した(通用期間は5年)。これを民部省札という。政府は,69年から70年にかけて,二分,一分,二朱,一朱の4種類の民部省札総額750万両を発行した。民部省札は,この発行の経緯からして太政官札の補完的役割を担っており,太政官札と同様に,社会的信用は低く,流通も困難であった。民部省札の交換回収については,1869年5月,政府は,金札の発行の停止を決定し,新しく鋳造する正貨との兌換(だかん)を計画したが,この計画は実行されなかった。71年12月,新紙幣の発行が決定され,その紙幣との交換を認めた。さらに73年3月30日,金札交換公債証書条令が制定され,民部省札は,公債証書と引き換えられることになった。民部省札の交換回収は,太政官札と同じく79年に終了した。
→太政官札
執筆者:丸谷 晃一
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1869年(明治2)10月から70年10月の間に民部省通商司で製造・発行した小額面の政府紙幣。二分・一分・二朱・一朱の4種。当初は発行額と同量の太政官札を回収する予定であったが,廃藩置県のため財政上の不足がはなはだしく,いったん回収した分を再び発行。その後,新紙幣の発行とともに交換され,78年6月までで通用停止となった。
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…【作道 洋太郎】
[近代日本の貨幣法制]
安政の開港により,日本へのメキシコ・ドルの流入と日本からの金貨の流出が激化し,貨幣制度は大混乱に陥った。明治新政府は,この混乱を静め,その経済基盤を確立するために,1868年太政官札(金札)の発行を布告したのを手はじめに,69年,民部省札,71年,大蔵省兌換証券,72年,新紙幣,開拓使兌換証券,81年,改造紙幣等々の紙幣を発行した。硬貨に関しては,当面,江戸時代の旧制によるとされたが,1869年以降,従来の四進法から十進法への変更,銀本位制ないしは金本位制の採用等々が種々検討された結果,71年の新貨条例により,金単本位制が採用されることとなった。…
…欧米で歴史上有名な政府紙幣の例は,フランス大革命のさいのアッシニャ紙幣(1789‐96),アメリカ南北戦争のさいのグリーンバックス紙幣(1862‐66),第1次大戦のさいのイギリスのカレンシー・ノートcurrency note(1914‐28)である。日本では江戸時代の藩札,明治維新政府発行の太政官札,民部省札,開拓使証券などがその代表的な例であるが,比較的最近の例としては太平洋戦争中に補助貨の払底に対処して発行された小額紙幣,軍隊が占領地で軍費支弁のために発行した軍票がある。なお,明治初期の国立銀行紙幣は紙幣を呼称していても銀行券である。…
…10両,5両,1両,1分,1朱の5種の紙幣からなり,69年5月まで製造され,製造総額は4800万両にのぼった。1869年2月,政府は少額太政官札の不足を補うために新たに2分,1分,2朱,1朱札からなる民部省札を発行したが,廃藩置県で増大した経費支弁のため,民部省札と交換回収した太政官札をふたたび流通させたので,不換紙幣の流通量はさらに増加した。71年12月,政府はドイツに委託して製造させた精巧な新紙幣の発行を布告し,翌年2月から太政官札はじめ民部省札,各種藩札などとの交換を開始した。…
※「民部省札」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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